連載エッセイF
教育は共育、育児は育自
横路 由美子

 我が家の3人の子供たちが小学校や仲良し子供館に通っていたころ、2階を開放して家庭子ども文庫を7年間ほど開いていた。「えんどう豆文庫」と称して本の貸し出し、読み聞かせ、紙芝居作り、お料理ごっこ、切り紙や折染めなど近所のお母さんたちの力も借りて、いつも母と子の自由な遊び場になっていた。

 二条小学校の通学路に当たるため、学校帰りに本を借りる子もいれば、朝「おばちゃん、トイレ貸して」と緊急事態に飛び込む子もいた。
 共働きの両親の子も安心して放課後、一緒に円山にセミ捕りに行ったり、夏にはキャンプに出かけたり楽しい思い出がたくさんある。未熟な私も、子どもによって少しは学び育てられたところがあると、つくづく思っている。

 長男が2年生のとき、学校から帰って「今日ね、身体検査が急にあったの。そしたら、パンツさあ、おしっこで真っ黄っ黄のやついたさあ」。その子の名前を言わない息子。2年生でも友達の恥ずかしいことはかばっている、と教えられた。
 次男が3年生のとき、クリスマスのプレゼントにおばあちゃんからポインセチアの鉢を頂いた。あの緑と赤のコントラストをはっきりさせるには、昼夜の光に気を付け、夜は真っ暗なほうがいいと聞いたらしい。一生懸命黒いゴミ袋をかけたりして1年がめぐってきた。その努力もさっぱり効果なく貧弱な姿になっているのを見るに見かねて「また新しいポインセチアかってあげようか?」と言ったら、ちょっと考えて「買わなくていいよ。新しいのが来たら、僕の心はきっとこっちを忘れて、きれいな方ばかり見るから。」今でもクリスマスのたびに思い出す。

 子どもが変わってしまったといわれるが、本当にそうであろうか?変わったのは大人社会。大人と子どもの関係が変わったのである。刑罰を強めたり、管理や強制したりすることが、いまの子どもや学校の問題の解決には決してならないことを肝に銘じたいと思う。
 それにしても旧石器発掘の自作自演、大人社会の仲間として恥じるばかりである。