連載エッセイ54
人生は曇り、雨、時々晴れ ―最近の私のメモ日記から―
横路 由美子

10月25日
 久方ぶりの東京。ということは単身赴任で頑張る夫の宿舎の掃除も久方ぶり。トイレ、台所、風呂など磨くのに力が要る。
 午後の本会議に「国家安全保障会議」(日本版NSC)が上程された。「エネミィ・オブ・アメリカ」という映画がリアルに思い出される。
 夜、雨の中、川崎の洗足学園のホールに二人で出かけた。フルート奏者の姫田大さんからの呼びかけで「応援福島!失われた伝承から創造へ」の催し。大さんの父、姫田忠義さんは数ヶ月前亡くなられた私共40年来の友人。「民族文化映像研究所」を立ち上げ、本当に地道に経済的にも苦労されながら日本の昔からの地方、地域に伝承されてきた生き方、暮らし方、生活の知恵や楽しみ方を目線低く丁寧に掘り起し映像に撮ってこられた。
 その日上映された「奥会津の木地師」は、山の中に笹ぶきの仕事場を作ることから始めて、材料の木を定め切り倒し、何百個のおわんの木地を削って、最後に馬の背に乗せ、塗り師に送り出す全行程。山や土、風や水の神への祈りと共にその仕事はあった。昭和初期まで奥会津で続けられていたこのやり方を、身体で憶えていた村人達がいたから、映像にすることができた。
 姫田さんの「間にあってよかった」というナレーションは深く胸に響いた。続いて日本民謡集に採譜採録された「杓子売唄」をテノール歌手が唱って下さった。東北の民衆の底力というものに感動した夜であった。そして記録し、記憶し、伝えることの大切さも。私の連なるNPO「北の映像ミュージアム」の運動もそういう意味を持つのであろう。

11月15日
 私のふる里福岡の姉が亡くなって1年が経つ。姉の夫の両親、私達の両親を見送り、遠く北海道で暮らす私のことを、いつも気づかい励ましを送り続けてくれたあの姉がいない。ちょうど去年、まさに衆議院の解散の日に、急性骨髄性白血病で忽然と逝った。台所に立って茶碗を洗っている時などに、突然悲しみがこみあげてくる。
 柳宗悦が妹の死に対して書いた言葉を思い出す。「悲しみにおいて死者と出会うことができるのであれば、悲しみを近くに引き寄せたい。死者はどこにもすぎ去らない。いつも私たちの傍らにいる」

11月21日
 オーストラリアで長女が結婚したというので、母(97歳)の小康状態を見計らって、4日間、超短期、エコノミークラスでの往復をやってのけ幸せの分け前に承ってきた。夫は国会中で抜けられないので私だけである。「自分達で生活を築き、ハッピーであればいい」が私達親の唯一の願い、唯一の条件。
 オーストラリアから帰ってすぐ母のホームに駆けつけたのだが、なかなか食べ物が喉の奥まで入っていかない。噛んでいる途中で眠ってしまうのだ。スタッフの人達も氷を砕いて口に入れたり、いろいろ工夫してくれている。疲れた身体ではあったが、気にして心配しているよりいいので、ほぼ毎日ホームに通ったのだが、わかったことは、目がさめていてお腹がすいている時は、ちゃんと食べてくれること、お汁やお茶にはトロミをつけているが、固形物も柔らかく煮たりしておいしいので、ゆっくり噛んで食べれることで安心した。
 東京にいる弟(医者)に相談して栄養とカロリーを考えたゼリー等も送ってもらい、食べ物は食べられる時に適宜、食べさせる(両手が不自由で使えない)ことを基本とすることにしていただく。家族とスタッフが十分意思疎通が出来ていないと、90歳を越える方々を介助するホームスタッフの心労はとても大変だと思う。そして、どうか、もう少し日本の介護職員の待遇がよくなりますように。心筋梗塞を患った私にとって、グループホームなしには私の生活は考えられず、本当に有難いと思う。
 夜、たまたま2日連続NHKで在宅認知症高齢者の特集があり思わず見てしまう。何とか行政も手助けを試みるのだが、本人達に病識がないので拒絶されてしまったり、周りの人も相談できず孤立している状況。いよいよだめという前に、できないことは「できない!助けて!」と言えるようにならなければ。

11月27日
 毎週水曜日(しょっちゅう都合悪くなって休みが多いのだが)午前中、もう30年も私と同じ年のアメリカ女性と現在84歳のTさん、3人で英語の勉強を続けている。私にとってはオアシスのようなものだから、進歩は殆どないのだが、ともかく英語のおしゃべり小1時間、原書1時間、計2時間のクラスを続けてきた。今は、日本名「アラバマ物語」の映画で有名な原書で、1930年代の南部の雰囲気を味わっている。Tさんはきちんと辞書を引いて予習をして来られる。「戦中の女学校では英語は敵国語だったから、とても楽しいの」。ご主人と死別、一人娘さんの家族は東京、その前向きな素敵な生き方に励まされている。
 12時半から横路後援会のボランティアメンバー5人と大通公園11丁目に向かう。札幌弁護士会の呼びかけで「特定秘密保護法反対」のデモ行進だ。大きな旗もなく弁護士とそれに共鳴して自然に集まった700人の人達。4丁目まで歩いて解散。何人かの知人や上田市長にもお会いでき、寒い日だったが嬉しかった。このデモにも監視の目が光っているかもしれない。監視社会、密告社会は暗い道への第一歩だ。

12月1日
 薄くもり、時々雪たまに晴れ間。やはり12月、気温はお昼で4℃。我が家の太陽光発電はこんな日も順調で、居間の電気、冷蔵庫、暖房用のポンプなどを賄ってもまだ余り、売電中である。太陽の光が当たり、パネルが雪に覆われない設置にすれば冬の北海道の発電にハンディはないと思う。お陽さま ほんとに ありがとう!!




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