連載エッセイ53
東北で考えたこと、感じたこと
横路 由美子

 私の掌の中に、岩手県大船渡市を訪ねた時そっと大船渡ユネスコ協会の前会長さんから渡された素朴な布製の人形がある。「尼さん人形」と呼ばれているのだが、人形の祈りの手が持つ小さなビーズ玉はロザリオのようでもあり数珠のようでもある。表情が実に穏やかで、悲しいときに見ると一緒に慰めてくれるようだし、良いことがあったときはよかったねと言ってくれているようだ。

 ユネスコの仲間を中心に15名で、7月初旬岩手県を主に3・11の被災地を訪ねた。あれから2年半も経とうというのに復興という言葉とはかなりかけ離れている実態を見て、いったい私たちに何ができるのだろう、何をするべきだろうと大きな心の宿題をもらった気がしている。
 リアス式海岸の複雑に入り組んだ海はどこも穏やかで日の光を受け美しかった。だからこそ、その海は人々の日々の生業を支え、恵みをもたらしてきたのだろうが、その同じ海が多くの命と日常の生活を奪った。計り知れない寂しさ、孤独、虚しさを抱えて、密やかに、あるいは一見元気そうに生きている人たちがたくさんいることを忘れてはなるまい。
 岩手県ユネスコ会長の三田地宣子さんは俳人で、震災一ヶ月後、

  春深し海は海たること永久に

 と詠んでおられる。
 大船渡ユネスコ協会の菊池則子さんは一階天井まで浸水を受け仮設住宅に入居。自治会の仕事や歌人としても活動していらして今回の旅でもお会いできた。
 菊池さんの歌である。

  場所少しあてがわれゐる仮の家
   小さき鉢にあさがお芽吹く

  かつてありしわれの日常
   遥かにて
    遠山に置く虹のごとくか

  かなしさの淵より湧ける
   術なさか
    わらいゐる人わらふ他なく

 大船渡市では、卒業式前日に校舎が流され高台の狭い仮設校舎に移った赤崎中学校を訪ねた。校長先生の「たとえ仮校舎でも、今の生徒にとっては大事なかけがえのない学生生活。半数以上が津波の被災を受けていますし、親を亡くした子もいます。でも、ごく普通に、できるだけ普通に学生生活を送ってもらいたいと思います」という言葉が心に残った。
 大槌市、釜石市、陸前高田市、気仙沼市、南三陸町……、 いまだ家々の土台だけ残された広い土地、草ぼうぼうの公園跡、200人近くの人が犠牲になった防災センターの残骸、家々をなぎ倒し陸の奥深く鎮座した大きな漁船、ひっそりと静まる仮設住宅の群、さまざまな爪痕。ボランティアガイドさんの指し示す海には、あちこちに壊れた防潮堤や防波堤の残骸があった。「海の中の島々を見てください。津波を受けてもほとんど元の姿で残っています。それにつけても人工物の無残さ、脆さ」。コンクリートの防潮堤よりも高台移転、逃げ道の確保、森林の充実を求める声が、どこの地方の人々からも聞かされた。

 先日、戦没学生の残した絵を集め残している上田市の「無言館」の館長窪島誠一郎さんの講演を聞く機会があった。「震災から一年経って石巻で無言館の移動展を開いた。開催自体にためらいもあったのだが、娘も親も仕事場もいわば何もかもなくした一人の漁師から〈やはり頑張って生きていこうと思いました。〉とお礼を言われた。画学生たちは、ただ生きて、絵を描きたいと思いつつ、不条理な戦争という国家の方針に呑み込まれてしまった。抗いがたい津波による死の不条理さにも同じものを感じられたのでしょう。」

 福島の事では7月にライラックの会で「飯館村の写真展」を開いた。目に見えない放射能に苦しむ村の人々の日常を、学生たちにも見てもらったのはよかったと思う。東北の復興は原発問題を考えると一層複雑なものになる。それははっきり言って人災であり、原子力村と揶揄される人たちはもちろん、安易に安全神話を受け入れ電気をふんだんに使ってきた私たちすべてのものへの告発であるからだ。
 それにしても福島第一原発の汚染水の問題は怒りと恥ずかしさでいっぱいになる。事故は何一つ収束していない現実と廃棄物処理の方法が見つからない、そして地震列島ともいえる日本という事実をしっかりと誰もが認めるべきだ。決断は早いほどキズは小さいのだから、一刻も早く再稼働と原発輸出をやめてもらいたい気持ちである。政治の一番の課題だし、これを避けて復興もオリンピックもないと私は思う。





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