連載エッセイ52
「終わりの始まり」から「始まりの始まり」へ
横路 由美子

 先月俳優夏八木勲さんが亡くなった。この1月だったか、東京に出た際、夫と日曜の朝一番で見た映画、園子温監督『希望の国』で原発事故の後、牛たちを殺処分し、その土地を離れるよう迫られる酪農家夫婦の役を大谷直子と演じて、強く印象に残った俳優だった。ドキュメンタリー映画ではないのに、今の、そして未来の現実そのもののように胸に迫り、つらく鋭い映画だった。
 この数か月、政治状況をみると、劣化する言葉と思考の蔓延、書かねばならないこと、言わなければならないことが山ほどあるのに、のどに刺さった骨のように「希望の国」を飲み込むことができない自分がいる。

 世界地図に地震や火山を書き込みそこに現存する420を超える原発を並べてみるとぞっとする。地震や火山で真っ赤に染まる日本列島に50以上もの原発があり、事故を想定したマニュアル避難訓練をやる一方、原発が動かないから値上げが必要と宣伝し、再稼動、建設の続行、外国への輸出拡大の野心がうごめいている。
 福島第一原発の事故の深さは未だ進行中で、原因の分析、炉心、燃料棒の処理、汚染水や汚染土の行く先、低レベル高レベル廃棄物の処理、動植物への影響(当然、食物に連鎖)、廃炉の手順、避難をしている人たちの生活…、どこをとっても解けない問題ばかりで、いったいこの国は何を考えどこに向かおうとしているのか、そんなに株価が上がったとか「何とかミクス」とか浮かれていて良いの?と言いたくなる。

 今から約30年前、幌延が高レベル核廃棄物処理場にされようとした時、今は亡き木仁三郎さん、そして彼が主宰していた原子力資料室の研究者の方々にいろいろ学ばせていただいた。木さんの分厚い全集は全12巻あって、12年前、彼の死後すぐ編纂された。
 木さんは、1973年、原子力の研究が専門化するほど、平和利用という名のもとに核研究の方向がどう展開するか心配だとして、大学の職を辞し「市民科学者として生きる」ことを決意する。86年チェルノブイリ事故直後の秋に書かれた論文には、「核の脅威と決着をつける終わりとなるのか、人類の終わりとなるのか、その両方が並行的に進行していく、今はまさにそういう時代のただなかにある、という実感がここヨーロッパに来てみるといっそう強かった。何としても私たちが生き続けようとするなら、この終わりの始まり?を始まりの始まり?へと転換せねばならない。」とある。
 全集の解説文を書いた核科学者の久米三四郎氏は70年後半の頃の自身のことに触れ、「その時分、多くの進歩的科学者?と同じように、原発には、安全上未解決の問題があるので人口密集地帯を避け『遠隔地も安全装置の一部』と考えていた私は、電気をたくさん使う都会にまず原発建てるのが筋でしょうという住民の問いかけに絶句した。足を踏まれている人たちからの問いかけだった。」と語っている。

 このところ私は水俣病の記述者、語り部を生涯の仕事としてこられた石牟礼道子さんの本を読み返している。彼女は、私たちに科学の進歩、近代化や便利さとは何か、生きるということは根源的にどういうことなのか、足を踏まれるどころか命を奪われている水俣の人たちからの叫びを言葉にしてきた。
 「こういう大きな受難に遭った共同体というのは、もちろん被害者の共同体には違いありませんが、ある時代の罪を担ってしまった共同体というのは、運命でしょうね。それをそれぞれの人たちが担っておられる。人間の運命のいちばん負の部分を水俣は担ってしまっていて放棄するわけにいかないのです。」「母親の胎内で胎盤さえも突破していくあの凄まじい有機水銀というのは科学的な産物ですよね。…しかし、それが人間に対してどう働いたかということは一応は思うんでしょうが、心は痛まない。ですから時効とか言い出している。…ここにきて徳目を一切放棄して心のやましさを何も感じない人間の集団ができてしまった。」「命がけでしかこの問題は越えられない。命がけで越えようとしておられる方が実際にいますからね。あそこまでいった人たちが限りなく優しい。それが若い人たちに伝わっているといいのですが。」(河出書房新社『蘇生した魂をのせて』)
 今、有機水銀を放射能という言葉に置き換えることができる。

 この4月、スイスで開かれた核不拡散条約のための準備委員会で、アメリカの核の傘にいる日本として矛盾するという理由をつけ、核兵器不使用の署名ができないと政府が公言した被爆国日本。この国は原子力や核の問題でどこに向かおうとしているのだろう。私たちは大事なこと、変えてはならないもの、忘れてはいけないものを識別選択していかねばならない。「希望の始まり」の「始まり」のために。





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