連載エッセイ51
厳しい日々に 光を求めて
横路 由美子

 寒い時期の選挙といえば、横路孝弘の最初の衆議院選挙は暮れの27日が投票日だった。彼28歳私27歳の冬。戦後の貧しい資材で建てた亡父の家は、朝になると台所のフキンは凍り、風呂に薄氷が張る「風通し抜群」の家だった。マイクガールたちは狭い我が家に泊め、残りの運動員は裏の家をお借りした。主婦の私は2歳半の長男と8か月の大きなお腹を抱え、4時にはペチカを炊き、みんなの携帯白金カイロにベンジンを注入れ、7時の運動開始に間に合うように20人近くの朝御飯を用意した。

 当時の選挙カーは、荷台吹きさらしのトラック、手すりが金属で凍れるというので急遽お腹の腹帯の晒を巻いたこともあった。たいして苦にもならなかったのは若さと希望のお陰である。
 40代、不可能といわれた知事選を3回闘った。本人は仕事に集中、秋から冬にかけ私が地方に行くことも多かった。利尻、礼文、オホーツク、釧根。増毛や羽幌、日本海沿岸。道南、日高、十勝……の漁村、農村地帯……御馳走になったタラ汁やゴッコ汁、初乳のチーズや搾りたての牛乳、塩辛をのせたホカホカのおいも…、温かい人々との語らいを懐かしく思い出す。

 今回の暮れの選挙、11月から12月、いつもと比べると異常な寒さ、吹雪・降雪の日々だった。直前に、いつも遠くから見守り応援してくれた福岡の姉を病気で亡くした。心身共に崩れ折れそうな厳しい選挙戦を支えて下さったのは、多くのボランティアの方々。人知れず支持を訴えて下さった方々。何よりもツルツル道路や吹雪の中、期日前投票を含め投票所に行って下さった方々の熱意である。

 選挙後も激励のお便りや電話を沢山いただいた。「戦争は絶対ダメ。平和憲法を守って」「コンクリートから人への政策を追求して欲しい。これからは人こそ宝だから」「原発ゼロに向け行程表を作り着実に自然エネルギー政策を進めて下さい」「競争で人を貶める社会ではなく助け合う日本社会にしたいです」「子どもを温かく育て見守る社会を作りましょう」等など。沢山のお手紙を見ていると、民主党が追求し努力しようとしてきた方向は、私は間違ってはいなかったと思う。将来にツケを残さないよう今、私達の責務の重いことをしみじみと感じている。

 私の友人でお習字の上手な藤井紀子さんは、時々素敵な字で心に残る詩を送って下さる。私は今、寝る前のひとときこの谷川俊太郎の詩に励まされている。

 朝のリレー
    谷川 俊太郎 詩

  カムチャッカの若者が
  きりんの夢を見ているとき
  メキシコの娘は
  朝もやの中でバスを待っている
  ニューヨークの少女が
  ほほえみながら寝がえりをうつとき
  ローマの少年は
  柱頭を染める朝陽にウインクする
  この地球では
  いつもどこかで朝がはじまっている

  ぼくらは朝をリレーするのだ
  経度から経度へと
  そうしていわば交替で地球を守る
  眠る前のひととき耳をすますと
  どこか遠くで目覚時計のベルが鳴っている

  それはあなたの送った朝を
  誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ





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