連載エッセイ49
一番こころにかかること
横路 由美子

 自分では作れなくとも、新聞の短歌や俳句を詠むのも楽しみの一つだ。5月6日、北海道新聞の日曜文芸欄に震災関連の3つの短歌が選ばれていて深く胸に迫った。

 君は未だ瓦礫の中かはた海か
  ただ呼ぶひとの胸に帰れよ
   岡崎 紀

 放射能を帯びたがれきが山のごと
  積まれしままに春嵐吹く
   石坂 寿鳳

 福島の廃炉の処理を思う日の
  喉にささったままなる小骨
   横沢 喜三郎

 5月5日、泊3号機が定期検査に入り、日本にある全部の原発が止まった。最需要期を前に節電キャンペーンと対策は必要としても、いろいろな思惑と利害が蠢いて「だから原発は必要」「再稼動を早く」の圧力をかけられるような日々、長期にわたる日本のエネルギー政策、脱原発の軸足がきちんとしないのはもどかしい。

 5月末、地震津波で被害を受けた福島第一原発廃炉中の4基の内、一番安定しているといわれてきた4号機が公開された。たまたま去年の大地震当時点検中で、燃料棒を束ねた集合体が1535本、プール状の水の中に保管されているのだが、周りに崩れ落ちた無残な建屋や散乱する瓦礫、シート一枚の下に見える濁った水…。「何とか来年末までに燃料棒を取り出し移動する目途をつけたい」という東電社員の言葉に「また地震でもあったら」と誰しも不安になる状況だ。

 その日、テレビの「報道ステーション」に出ていた下請け会社の名嘉社長という方の言葉に胸がいっぱいになった。「毎日次々と作業員を送り込むが、すぐ許容線量が限界になって、内で仕事ができなくなる。我々は大地震の被害者ではあるけれど、放射能の加害者でもあり、もし廃炉途中で何かあったら、本当に大きな加害者になってしまう。だからこの現況はとても心配なのです。」と真剣に話されていた。まさに「身につまされる」響きを持っていた。原発をどこか頭の隅に追いやって電気を使ってきた私たちの喉に後悔の骨が突き刺さる。

 原子力安全基盤機構の解析では、格納容器に常時冷却水を注入しているにもかかわらず、水位は1号機で40センチ、2号機で60センチしかない。30年、50年、100年、長い収束への道筋がつかないままに、そして廃棄物の処理法が見つからないままに、そして何よりもふる里を出ざるを得なかった人達が9万人を超すというのに再稼動や外国への輸出が認められていいものだろうか。遠洋を回遊する魚にも今回の原発に由来する放射能が見られるという。いま世界中の厳しい目が日本の原発、事故処理の推移を見ている事を忘れてはならないと思う。

 1980年代、増毛から日本海に沿って北上すると、道路沿いの大きな看板に「高レベル核廃棄物埋め立て反対=横路さん頑張って」と書いてあった。幌延町が動燃のターゲットになっていた頃で、その看板を見るたびに胸を熱くした。

 民(みん)の力は大きい。そして民も賢くなければならない。橋下大阪市長の、敵をつくり敵をたたいて拍手を貰う劇場型政治に引かれていっていいものだろうか。現政治へのもどかしさがそんな形にならないように危惧するばかりだ。

 3・11以後、私たちがやらなければならない事は、自分の生き方を含めて、日本社会そのものを根本から見直していく哲学的といってもいい大きく深い改革であるはずである。
(この原稿を書き上げた途端、政府が大飯原発の再稼動に具体的に動き始めた。私はいま、虚しさと怒りに包まれている。)

 我が家の屋根に太陽光発電をつけてまもなく一年になる。昨年8月1日から6月7日までの積算発電量は3100Kwh、消費量は2800Kwh。夜も蓄電して使えば太陽光発電で十分まかなっていることになる。あらためてお陽さまのパワーに敬服している。






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