連載エッセイ45
鎮魂の夏 〜語り継ぐ戦争〜
横路 由美子

 このネットワーク通信の発送は、ボランティアの人たちの手を借りている。狭い事務所の中で、面白かった本、音楽会、展覧会、演劇などの情報が行き交うのも楽しい事だ。
 夏が過ぎて異口同音に出た感想は、「この夏のNHK、頑張っていたね」だった。戦後65年、戦争を実際に知る人たちが高齢になり、最後の力と思いを振り絞って「戦争」の証言者となったのが、見る側にも伝わったし、地方支局の意気込みも伝わった。アメリカ公文書館をはじめ日本の政権交代で情報公開が進んだことも影響したと思う。

 朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」のドラマの中でもニューブリテン島の「死闘」が描かれていたが、「兵士達の戦争〜生き残ってはならなかった兵士達」という番組でその実態が報道された。
 日本軍の拠点ラバウルを守るため、前線ズンゲンで10倍の兵力を持つオーストラリア軍に「斬り込み」をかけた兵士達、「大本営発表]で全員名誉の玉砕と言われた以上、生き延びる事が正式には認められなかった。
 8月12日放送の「玉砕―隠された真実」。昭和18年5月アッツ島に1万人以上の米兵が上陸、日本軍2,638人が玉砕、軍神と称えられた。しかし27人が重傷で死ぬ事も叶わずアメリカの捕虜になったという。「満豪開拓青年義勇軍」では、子供たちを戦争に送り出した信濃の教師の悔恨の言葉に胸を痛くした。

 メディアの自己反省を含めた「敗戦とラジオ」「玉音放送を死守せよ」、軍慰問のための「わらわし隊」の存在、「シベリア抑留の実態」等など心に残る記録だった。
 原爆記念日に放映された「封印された原爆報告書」では驚く事実が多かった。アメリカ公文書館、GHQの書庫に181冊、一万ページに及ぶ「被爆国自らが調べた被害状況」が英文で残されていた。広島の原爆の直後、大本営陸軍省医務局が調査に入った。終戦を挟んで、千三百人の医師による調査はアメリカから「日本人の協力の賜物」と感謝され、医師の証言によると「こちらも731部隊のことがあるからアメリカの心証を良くしたかった」という。
 広島牢品分院に収容された六千人の被爆者は治療ではなく、調査研究の「材料」とされた事が分かった。当時解剖された人たちの内臓など今もホルマリン漬で残されている。11才で亡くなったおばさんを探すAさん、探り当てた2494027番、Aさんのおばさんは肝臓や腎臓は薄く切られて5枚の顕微鏡用プレパラートになっていた。

 びっくりしたのは、原爆投下時、建物疎開などで動員されていた子供たちが、数も居場所もはっきりしていると言う事で「原爆の殺傷能力のサンプル」に使われた事だ。爆心地から0.8キロ560人全員死亡、1・3キロ132人の内50人死亡といった具合で、一万七千人の子どもの死亡率曲線が描かれた。それがなんと、アメリカの対ソビエト戦略のシミュレーションに使われたという。たとえばモスクワはどこに何発落せば全滅するか、などと。

 貴重な証言を聞けば聞くほど、「聞けわだつみの声」の「死んだ人々が還ってこない以上、生き残った人々は何がわかればいい?」が深く胸にせまってくる。






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