連載エッセイ39
志を育む
横路 由美子

 この春、長い間後援会員になって支えて下さった金木重義さんが亡くなられた。お通夜の席で「思い出の遠友夜学校」(北海道新聞社発行)のなかに金木さんが書かれた文章のコピーが配られた。

 金木さんは大正の初めに農家に生まれ、農繁期は学校を休んで田舎の複複式小学校をやっと卒業した。なんとか上の学校に進みたかったが、働かなければならない。官庁ならば夜学に行けるかと鉄道省苗穂工場に入所。待望の中学校行きを上司に話したがなかなか許可が下りない。迷っていると同僚から遠友夜学校を勧められた。
 「先生方は北海道帝国大学の学生さんであること、授業料は無料です。」
 「当時は生産第一主義で戦争の色濃く、夜学通いは固く禁止されたのだった。もし夜学校に行くならば工場を退職してもらいたいと申し渡された。私は何がしかのお金を親に送金しなければならず内緒で通学した。出勤は朝の7時、退出は午後5時で、2時間の授業は毎度のことでいつも遅刻する。だが先生方は笑顔で優しく迎えてくれました。」
 「灯火の下、生徒は生き生きとして、服装は貧しくとも勉学に集う人々の心は底抜けに明るい。」
 「愛と奉仕、実践の精神を基本とした教育でした。」

 やがて金木さんは、戦後の激動期に、職場のみんなの信望を受け職場委員長に選ばれる。
 ある年、北海道がものすごい豪雪に見舞われた。金木さんの説得で、労使一致団結してラッセル車を走らせ鉄路を守り、輸送業務の縁の下の力を国鉄内外に知らしめたこと、良識ある職場と高く評価されたことを、金木さんは「遠友夜学校精神が源にあったからできたことだった。」と回想しておられる。

 「新渡戸先生夫妻の蒔いた一粒の種が多くの学生さんの心根の広がりへ実ったのではないでしょうか。私はこの世から戦争をなくしたいと、余命を尽くして頑張っているこのごろです。遠友夜学校精神よ永遠なれ。」と手記は結ばれている。
 金木さんは、国鉄を退職された後、息子さんの司法書士事務所やお寺や福祉関係、後援会のボランティアもして下さった。金木さんの一生を支えた遠友夜学校。その校歌は9番まであり、有島武郎の作詞であった。

 当時「先生」だった木全幹雄氏が寄せられた文章に「若い人が老人よりも先に<きれいごとだけで世の中は渡れない>などとしたり顔はしてほしくない。」とあった。
 若い時代に何を学び、どんな志を持つか、そして大人は若い世代に何を語るか。かつて遠友夜学校に集まった人たちの高い志を、まっすぐ胸に受けながら、今の時代を私たちも生きていきたいものである。

 ペシャワール会の農業スタッフ伊藤和也さんが殺された。「アフガンの大地に緑を、子どもたちに平和な生活を」と静かで熱い志で活動してきた青年の死を心から悼みたい。

 「思い出の遠友夜学校」45ページより一部抜粋

  1.沢なすこの世の楽しみの
    楽しき極みは何なるぞ
       北斗を支ふる富を得て
       黄金を数えん其時か
          オー 否 否 否
          楽しき極みはなほあらん

  3.黄金をちりばめ玉をしく
    高どのうてなはまばゆきに
       のぼりて貴き位やま
       世に羨まれん其時か
          オー 否 否 否
          楽しき極みはなほあらん

  5.正義と善とに身をささげ
    欲をば捨てて一筋に
       行くべき路を勇ましく
       真心のままに進みなば
          アー 是れ 是れ 是れ
          是れこそ楽しき極みなれ

  8.そしらばそしれつづれせし
    衣をきるともゆがみせし
       家に住むとも心根の
       天にも地にも恥ぢざれば
          アー 是れ 是れ 是れ
          是れこそ楽しき極みなれ




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