連載エッセイ38
美しい顔
横路 由美子

 作家の澤田誠一さんが亡くなられて一年半が経つ。よく後援会の集まりに出て下さって「戦争はダメだよ。憲法9条も変えてはダメだ」と話された。
 横路の父方には「蟹工船」の小林多喜二(いとこが多喜二の姪と結婚)、母方には野呂栄太郎(母の兄、「日本資本主義発達史」の著者で経済学者)がいて、両方とも戦前の治安維持法のもと獄死した事を心にとめていらして、「北海道における戦前戦中のものを書く人たちの苦難をテーマに考えているので、御母堂に資料を貸して下さるよう頼みに行きたい」とおっしゃっていた。
 その母も、残念ながら92才を越えて脳血管障害のため、記憶力や想像力、表現力をかなり失ってしまった。それでも、突然一瞬、ひとこと発語が戻って「高橋のうち」と言ったりして私たちを驚かしたり喜ばせたり悲しませたりしてくれる。
 今となっては、母から直接その経過が聞けなくなったが、70才の頃やっていただいた札幌大学の宮良研究室の聞き書きによるパーソナル・ヒストリーによると、「私と妹だけ適齢期でもありましたから、姉の嫁ぎ先の養女になって高橋姓を名乗っていた事があります。姉たちも特高のため煩わしい事があったと思います。栄太郎兄は、私が豊水小学校に勤める少し前に亡くなっていましたのに、あのように思想統制の厳しい時代でしたから」と語っている。

 この春、山田洋次監督、吉永小百合主演の映画「母(かあ)べえ」を観た。時は1940年3月、ドイツ文学者である野上滋が反戦思想の持ち主だとして治安維持法違反で検挙される。ちょうど「生活綴り方教室」で300人の教員が逮捕された時期である。41年12月8日には真珠湾攻撃による日米開戦、一年半の拘置所生活で野上は力尽き、獄死する。
 山田洋次監督は「あの絶望的時代を懸命に生きた人々の、愛にあふれた笑い声や悲しい涙を、そっとスクリーンに写し取りたい。そしてあの戦争で悲しい思いをした人々、さらには今もなお戦禍に苦しむ人たちすべてに思いを馳せながらこの作品を作りたい」と語っている。
 強く優しく美しい母を演じた吉永小百合は、毎年8月「原爆の詩」の朗読活動を20年も続けている。そんな彼女だからこそ一層、胸に響く作品になったと思う。

 私は、2003年の鹿児島県議選での、小さな村落で警察によって「でっち上げられた買収事件」を思い出していた。取り調べ中、孫や親の名前を書いた紙や手紙を足で踏ませる。まるで、江戸時代のキリシタン弾圧のようなことまでさせ、「あなたの弁護士は、信用ならない評判の悪い人だ」と言ったり、弁護士と自由に接見する権利があるのに、接見内容を調書に採るようなことまで行っている。
 自分を失わず、家族を信じ、一緒に「逮捕」された人たちを信じて、「それでも、私たちはやっていない」と無罪判決まで戦い抜いた12名の村人達をニュースで見て、その美しい顔に思わず見とれてしまった。

 映像は時に正直だ。イージス艦「あたご」による清徳丸衝突の後、いろいろ言い逃れをし、視線の定まらない防衛大臣や事務次官の顔と対照的に、怒りと悲しみを深く沈めて仲間の命を思いやる漁協組合長の凛とした姿も忘れられない。最近のNHKのETV特集で見た作家「神聖喜劇」の大西巨人夫妻にも強い感銘を受けた。
 2年前、入院中の母が夜中に大きな声で「兄は戦争に反対しただけで悪い事をしたのではありません。姉妹は励ましあって生きていきます」と叫んだことが何度かある。あの時代、母はどんな思いで青春を送っていたのだろう。母の両親の苦悶はいかばかりだったろう。
 いま、私は時々、もの言えぬ母を、かき抱きたい気持ちになる。




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