連載エッセイ34
憲法の誕生日
横路 由美子

 4月25日夕方、国会近くの衆議院議長公邸で「日本国憲法施行60周年記念」のコンサートが開かれた。冒頭、主催者として河野議長が「私たちは誕生日をお祝いする時にはいつも、その人を愛しその人の健やかな日々と成長を祈りますね。今日はそのような特別の深い思いを込めて、日本国憲法の誕生日を祝います」と挨拶された。
 オペラ歌手、ジャズピアニスト、フリューゲルホーン奏者、それぞれの『イマジン』『アメイジンググレイス』等、心に沁みる演奏だった。ライトアップされた新緑を背景に、溝口肇さんのチェロで、カザロスがフランコの圧政に抗して弾いていた『鳥の歌』。溝口さんは前置きで「私のこのチェロは、200年以上も前に作られたものです。戦禍や災害をくぐり抜け、何人もの音楽家の手で演奏され愛されてきました。これからの200年300年、平和の中でこのチェロが音楽家に次々と受け継がれ、いい音を響かせていくことを願っています」。
 続いて森山良子さんの『星に願いを』『さとうきび畑』、最後のブレスまで一瞬の乱れもない丁寧で澄んだ本当に美しい声、「ざわわ、ざわわ、この悲しみは消えない」――沖縄戦の中で亡くなったお父さん。終戦の日に生まれた私は、そのお父さんの顔も知らない、お父さんと呼んでみたい、お父さんどこにいるの、ざわわ、ざわわ、風が通りぬけるだけ――感動の波動がホールいっぱいに共鳴し広がっていく。音楽の持つ力を心底堪能した夜であった。

 この前、家の仏壇の引き出しを整理していたとき、金内忠雄さんという方の小冊子が出てきた。今から20年ほど前、古希を間近に「青春の記録−比島山中敗走記」と題した冊子を父の仏前に届けて下さった。金内さんは、父横路節雄が昭和6年札幌師範を卒業し幌西小学校に赴任して間もなくの4年生の担任の生徒だった。
 父親を亡くし、悲しみの中にあった彼は何かと励ましてもらったという。大学を卒業後、佐世保で造船の仕事に携わっていた彼は、昭和19年海軍の一員としてフィリピンに行くことになり、出征前の休暇を与えられ札幌に帰ってきた。
 「出発前夜、横路先生が泊まってくれた。『戦争はいつか終わる。君は、日本の為に働く若さと力があるのだから決して死んではならない。どんなに大変でも命を大切に生きて帰って来なさい。母上や妹さん弟さんも待っておられる』と先生は強い口調で言われた」。
 ルソン島の激戦で日本兵の9割以上が死亡した。山中を敗走しながらたくさんの亡骸を見る。いつも死と隣り合せ。恐怖だけでなく時に死への誘惑にさえ負けそうになる。その度に「命を大切に」と言われた言葉を思い出したと言われた。
 戦後、彼は大造船会社の社長になられたが、戦友の供養のためにも、これからの日本の進路のためにも書き残しておきたいと思われたのである。その前書きにこう書いてある。「もし叶う事ならば、戦争の無い青春に戻りたい。更に青春を国に捧げて散った戦友たちの青春も取り戻してあげたい」と。

 日本国憲法は、こうした大きな犠牲の上に「二度と戦争はいやだ」という思いを受けて生まれたのだということに、あらためて思いを深くしたい。『さとうきび畑』の歌のとおり、この悲しみは消える事が無いのである。




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