連載エッセイ33
「市民の『未来』を奪うのか、守るのか」
横路 由美子

 お盆を過ぎて、埼玉に住む弟夫婦が札幌にやってきて90才になる母と留守番をしてくれるというので、2泊3日東京の宿舎へ「空飛ぶ掃除婦」。いつもは掃除だけでトンボ返りなのだが、今回はお陰でリフレッシュタイムを取ることができた。

 渋谷から東横線で30分、終点で降りて坂を上りつめると「港の見える丘公園」がある。展望台の脇の木道を渡ると、そこは太陽の照りつける展望台とは別天地。スズカケやミズキ、桜などの大木に囲まれ、涼風が心地よい。
 明治時代に造られたフランス領事館の井戸の遺構の側に、長い間会いたいと思っていた「母子像」があった。若く優しいお母さん、膝に抱かれる2人の幼児。思わず小さな頭を撫でてしまった。3人の父であり祖父である土志田勇さんが、全国からのカンパをもとに今から21年前に建てられたものである。台座には「愛の母子像−あふれる愛を子らに」。
 その横に今春21年目にしてようやく許可設置された真新しい碑文があった。「1977年9月27日横浜市緑区(現青葉区)に米軍機が墜落炎上、市民3名(母親と幼児2名)が亡くなった。生前に海が見たいと願っていたことからこの場所が選ばれた」。木の間がくれに青い海が見えて、せみ時雨が悲しみを増した。

 のどかな昼下がりに突然襲った悲劇。千葉房総沖で待機する母艦ミッドウェイをめざして厚木基地を離陸した直後、ファントム戦術偵察機が火を噴きながら墜落。満載していた燃料が爆発と同時にあたり一面に広がり火炎が家々、木々、畑を焼き尽くした。
 9名もの死傷者を出し、特に重傷の26才のお母さん、3才と1才の男の子。次の日に2人の子供たちは命が尽き、母親は全国から皮膚提供の申し出を受けて筆舌に尽くし難いつらい手術を繰り返したが、4年後に亡くなった。米兵2人はパラシュートで脱出、アメリカで罪に問われたという事実もない。
 30年も前のことだが、私もその頃3人の子育て真っ最中で他人事とは思えず、新聞記事まで憶えている。

 昨年秋の「日米同盟−未来への変革と再編」という10・29合意によって、北海道でも米軍のF15戦闘機などの訓練が航空自衛隊千歳基地に移転されると発表された。
 2年前の沖縄国際大学への大型ヘリコプター衝突爆発事故をはじめ、全国の基地周辺で事故や暴行事件が後を絶たない。
 「未来」を突然理不尽に奪われた母と子の思いを、そして今もレバノン、イラク、アフガンや世界のあちこちで消されていくいのちを私は忘れない。





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