連載エッセイ30
安心で平和な社会を創るのが、政治の仕事
横路 由美子

 今回の選挙では、たくさんの大事な議員を失った。少子高齢社会の問題、医療改革、年金や障がい者自立法、そして教育や平和問題でしっかり勉強し頑張ってくれていた人たちである。
 日本中、嵐のような選挙が終わって、寂しく虚しい気持ちが私を襲った。しなければならないことはたくさんあるのに、秋空の美しい日、一人で列車に乗り小樽へ向った。海も見たかったし、小樽商大に行ってみたかった。

 選挙前、7月に読んだ「小樽の反逆」(夏堀正元著)という本が小樽高商軍事教練事件を扱っていた。1925年(大正14年)の小樽高商(今の小樽商大)軍事教練の想定が、2年前の関東大震災のデマ(地震と火災に乗じた無政府主義者と不逞鮮人の騒擾状態)とその言葉づかいまでそっくりだったため、市民と学生が抗議行動を起こした事件である。
 この事件が引き金になり、全国の大学の教官と学生の間で軍事教練反対が広がり、1926年1月に制定されたばかりの治安維持法違反第1号として学生38人が一斉に逮捕された。その時の一人が、やがて1934年34才の若さで獄死した、慶応大学を卒業したばかりの横路の伯父(母の兄)経済学者の野呂栄太郎であった。時代は昭和恐慌を経て満州事変、盧溝橋事件、日中戦争そして太平洋戦争に突入する。

 遠く海を望む高台にある小樽商大のキャンパスは、ナンテンハギの赤紫の花がそこここに咲きとても静かだった。丘を登りつめた白樺林の中に、青い空と海に向って漕ぎ出す白い帆のような戦没学生のための記念塔があった。
 記念塔の内側には、太平洋戦争で死んでいった教官2名、続いて大正10年から昭和20年の卒業生まで、347名の一人一人の名前が刻まれている。
 「戦いの野に果つるとも 若きいのち この丘にとどまりて 消ゆることなし 友よ 安らかに眠れ」
 碑文を読むと、思わず涙がこぼれた。

 選挙中に逝去された私たち夫婦共通の大学時代の恩師、西村秀夫先生は、時々電話を下さり「弱いものの味方そして戦争のない社会を創るのが政治の仕事です」と励まして下さった。「真実の事、強く願う事は必ず実現します」と。西村先生の声が聞こえた気がして、帰りの列車の中で私は少し元気になった。





エッセイNへ インデックスへ