連載エッセイ29
「近くて遠い国」ではなく、「近くて親しい国」に
横路 由美子

 「人間の条件」「戦争と人間」などの作家、五味川純平さんが亡くなって10年が経つ。
 横路が国会議員に初当選したのが1969年の暮れ、28才の時であった。横路は72年の訪中で中国で周恩来首相にお会いし、中国各地の日本軍の軍靴、軍刀の跡を見ることによって中国問題、アジアの問題が、自分の政治的に大きな課題のひとつであることを強く自覚したという。
 そんな時、中国の旧満州で生まれ、長じて、強制連行で集めた中国人労働者を監督する立場に立ち、苦しんだ戦争の日々を超長編小説に書いた五味川純平さんと親しくなる。五味川さんも若い政治家を育てようという強い気持ちと、政治が私利私欲に走って大事なことを見失う状況に本当に怒っておられたから、横路に期待をかけ応援をして下さった。
 市民会館や厚生年金会館などでの「時局講演会」と銘打つ集会にいつも手弁当で駆けつけ、「自分は植民地で生まれ育ち、東京外語で英語を学ぶと、またその植民地に戻り、国策会社に勤め、占領と戦争に関わった戦争犯罪人である」と、最後まで決して精神の安逸をご自分に許さなかった方であった。
 私自身が、1910年 の日韓併合以来、日本の植民地であった朝鮮のソウル(京城)で出生、(両親は一民間人に過ぎなかったが)朝鮮の人々に負い目のような原罪意識を持っているので、五味川さんのおっしゃることは胸に響いた。

 いま世の中は「ヨン樣」ブームに始まり、「韓流」がもてはやされている。しかし随筆家の岡部伊都子さんの「愛好家は一びんの李朝白磁を手に入れるためには、惜しみなく万金を投じる。だが、その壷に潜む涙は思わぬ。そして朝鮮芸術をこよなく愛し尊びながら、現実社会では朝鮮人を見下げ、苦しめつづけている。」(岡部伊都子「朝鮮母像」)という言葉に胸が締め付けられる。

 昨年の暮、次男が仕事で滋賀県の長浜にいたので、横路の母と共に次男を訪ねた折、近くの高月町にある「東アジア交流ハウス・雨森芳洲庵」を訪れた。
 雨森芳洲は江戸初期、高月町に生まれた儒学者で、26才で長崎の対馬に赴任、「交隣提醒」を著し、中国語、朝鮮語を学び外交官のような仕事をした。
 中学校のステレオタイプ的勉強では、江戸時代は鎖国の時代で、わずかに長崎の出島からオランダの空気を吸っていたと思われがちだが、秀吉の蛮行そのものの朝鮮出兵を良しとしなかった徳川家康は、対馬藩に命じて朝鮮との和平交渉に当たらせた。以後江戸幕府は、李氏朝鮮と琉球とは信を交わす外交のある国、中国の明(のち清)とオランダは貿易船だけを認める通商の国として門戸を開き、特に朝鮮との間は1811年、11代将軍まで朝鮮通信使という外交文化使節を受け入れた。朝鮮の釜山には倭館が在り、何百人も対馬藩の役人が滞在し、そこで重要な役を果たしたのが雨森芳洲であった。
 朝鮮通信使の一行は毎回、学者、書家、医師など500人近く、大きい船でソウル、釜山から下関、大阪まで来て、淀川から京都へ、そして陸路で近江、彦根、と琵琶湖畔から名古屋、東海道を通って江戸へ向かった。今でも朝鮮街道として歴史に残る道筋を追うことができるし、琵琶湖畔の寺々で当時の接待の模様などが書かれたものに出会うことができる。
 次男を訪ねたお陰で、国の概念も無かった大昔から中世までは勿論のこと、近世も秀吉の時代を除いて本当に「近くて、親しい国」だったことを実感した。

 今の北朝鮮による拉致問題などの流れを見ると、怒りと悲しみでいっぱいになる。嘘を嘘で固めることをせず、拉致被害者を家族のもとに直ちに返してほしいと訴えたい。
 しかし日本もまた、近代現代史において、中国や朝鮮民族にぬぐい難い悲しみと怒りを残してきたことを同時に思い至さなければならないと思う。そして第二次世界大戦時代の日本やドイツのように、各々の民族自体の持つ固有特殊な問題でなく、政治体制、国の仕組みの問題であり、基本的人権が蹂躪され、教育、情報が独裁者や一部軍部に握られることの恐ろしさを、私たちは身を持って体験したはずである。他国のナショナリズムも自国のそれも、常に理性ある歴史的見方は忘れないようにしたいものである。

 司馬遼太郎さんが「街道をゆく」二十八巻、済州島を扱った本の中で書いている。「ナショナリズムは、どの民族、郷党にもあって、わるいものではない。ただ、浅はかなナショナリズムというのは、老人の場合、一種の呆けである。壮年の場合は、自分についての自信のなさの一表現かもしれぬ。若者の場合は、単に無知のあらわれでしかない。」
 日本の中で、もっと意識的に太平洋戦争の歴史をきちんと学び合い教えなければ、浅はかなナショナリズムがはびこり、アジアの中で日本が信頼される日が遠くなるばかりである。
 映画「パッチギ」「大統領の理髪師」、小説、「三度の海峡」(帚木蓬生)「青春の門、筑豊編」(五木寛之)、レポ−ト「コリアン世界の旅」(野村進)、エッセイ「朝鮮母像」(岡部伊都子)「在日」(姜尚中)など、ぜひ多くの人々に、今、読んで欲しいと思う。





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