連載エッセイ28
復興支援、平和貢献って何?
横路 由美子

 土曜日の楽しみは夜9時からのテレビ番組『世界ふしぎ発見』。9月、チベットとインドに国境を接するブータンという九州ほどの小さい国で、1964年、30歳代の初めから28年にわたって農業指導をしてこられた西岡京治さんの特集があった。

 北はヒマラヤ、南は亜熱帯という過酷な条件に加え、政治的にも当時は鎖国状態で、生産力が低く農業技術も農産物の種類も非常に限られていた。しかも旧い因習、習慣があって改革が受け入れられない状況の中で、丁寧に誠実に信頼を勝ち得ていく。
 ジャングルのような未開の土地も現地の人と一緒に開拓し、若者を教え育て、人々の生活に心を砕いて診療所まで開設する。惜しくも1992年に急病で58歳で亡くなられたが、国中の人々が彼のことを心から尊敬し悼む姿に、思わず目頭が熱くなった。

 農業指導といえば2年前に亡くなられた岩見沢出身の原 正市さんのことを思い出す。道庁の農政部を退職された後、1982年から20年にわたって黒龍江省に出向いて稲作の畑苗移植栽培技術を広め、収穫量を飛躍的に伸ばし、中国で広く敬愛されている。

 京都の手描き友禅職人だった森本喜久雄さんは、10年来カンボジアに移り住み、ポルポト政権と戦乱で途絶えたカンボジアの伝統絹織物の復活に、現地の人たちと一緒に全力を傾注されている。

 10月半ば、アフガニスタンでこれもまた20年以上にわたって、医者としての医療はもちろんのこと、生活と健康の基本である水源の確保のために文字どおり心血を注いでこられたペシャワール会の中村哲医師の報告会が開かれた。
 彼の言葉はとても謙虚だ。宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』を引用して、演奏会を前にゴーシュが様々な動物たちの無理難題に仕方なく何とか応えていくうちに、結果的に彼の演奏力が高まったように、「私はただ現地の求めているものに従おうとしただけ。何度やめようと思っても、現地の窮状が私を引き戻すのです」「それは、地域の人々との協働なのです」と。

 事実誤認、大義捏造のうえに始められたイラク戦争。それに加担した国々が軍服を着たまま、自分たちが壊した学校や病院、水道などを大量の税金を使って「復興する」と、ことさらに「平和貢献、復興支援」と大袈裟に宣伝されることには、殺された人々も私たちも決して納得するわけにいかない。まして消された命は「復興する」ことはない。





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