連載エッセイ25
人間のおごり
横路 由美子

 3月、札響の定期演奏会でハイドンのオラトリオ(聖書などに基づく物語)の<天地創造>が演奏された。札響をバックにソプラノ、テノール、バリトンのアリア、ボリューム感あふれる合唱で、6日間にわたる神の天地創造そして人類誕生の愛と生命の讃歌が歌い上げられ、力強く耀きに満ちた演奏であった。

 アメリカがイラクに戦争を仕掛けて一年余り、その間にたくさんの兵士の死、そして1万数千人にものぼるイラク市民の死があった。負傷者や劣化ウランによる被爆者たちは数さえ把握できない。地球上の生物の中で一番獰猛なのは人間であるとよく言われることではあるが、<天地創造>を聞きながら人間の愚かさを考えていた。

 JT生命誌研究館館長の中村桂子さんがNHKの教養番組で「生き物感覚を取り戻そう」という話をされたことがある。「36億年も前に生物の元になるものが生まれ、現在5000万種以上といわれる生物に分化したが、生命の元は同じで、機能の面でも共通共有している部分が多い。人間もこの大きな生命の連鎖の中にいることを忘れてはならない」と言われた。
 科学が全てを解き明かし、数字と機械に還元されると信じようとした20世紀が終わった。生命は、機械と違って思い通りにならないし、「便利さ」「速さ」「正しいことはひとつ」などという概念から遠いということを思い出すことが生き物感覚を取り戻すということだろう。生命としての連帯感といっても良いだろう。

 草食動物であった牛に肉骨粉を食べさせ、共食いを強要している人間の身勝手さ。鶏たちから、土の上で虫をついばむ自由を奪い、恋もさせず窓のない30センチ四方のケージに詰め込み、機械のように肉や卵を収奪する人間。遺伝子組換えを試み、虫や雑草を寄せつけない作物を作ったり、人間の欲望はきりがない。
 BSEや鳥インフルエンザが人間の食糧体系を脅かしているのは、他の生物のことまで考えるべき人間独自の智恵をないがしろにした人間のおごりへの反逆であろう。

 人間社会では、民族も、宗教も、慣習も、政治体制も、暮らし方も、自分のサイドが一番として、排除と抹殺の論理がまかり通っている。人類は生き残れないのではと思いつつも、だからこそ絶望せずに、この限りある地球で生命の連帯を大切にしていきたいものである。




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