連載エッセイP
生命の重さ
横路 由美子

 この秋、4日間にわたってDPI(障害者インターナショナル)世界会議が札幌で開かれた。
 思えば10年前、福祉村の安部さん(彼は、横路が中学時代に大ケガで1年半、医大に入院したとき同室の入院友達である)やオーロラ作業所の塩見さん、DPIの事務局長をすることになった西村さんたちが、この4年に一度開かれるDPIを何とか北海道で開くことができないかと言い始めた。その2年後オーストラリア・シドニー大会に出て一層夢を膨らませ、ついにその4年後のメキシコ大会で札幌誘致を決めることができた。あちこちに[I HAVE A DREAM.]のシールを貼っていた彼ら。

 ついにその夢がみんなの力で実現したことに、私は深い感動を覚えながら、会場「きたえーる(北海道立総合体育センター)」でシンポジウムを聞いていた。
 108カ国の様々な人種、様々な障害を持った3000人を越す人たちが集まった。ボランティアの人たちも力仕事から、移送サービス、通訳、茶道の実演、日本文化の紹介など延べ3300人が手伝った。学生さんも主婦もシルバー世代も元気に仲良く力を合わせた。同時通訳、手話通訳、北大工学部の協力でできたという字幕スクリーンも素晴らしかった。
 私は正規に登録して、外国からの参加者をサポートしながら、パーティーにも分科会にも全体会にも出席して勉強することができた。
 戦争や貧困が新たな障害者を生み出し、障害者の生活をさらに惨めなものにしているという実態も語られた。発展途上国の、生きていくことそのものが脅かされている状況、それに対してアメリカなどの先進国といわれている国々では、すでに遺伝子調査で差別が始まっているという。将来特定の病気にかかる可能性のある素質を持つ労働者は、会社による保険料の負担が大きくなるという理由で雇用の差別を受けているという事例が上げられた。また精神障害の分野からは、必要のない隔離や投薬についての問題提起がなされ、この分野での差別、人権、治療、リハビリテーションがまだまだ課題の多いことを教えられた。

 分科会では、「アジア太平洋の障害者10年」と「生命倫理」の分科会に2日にわたって参加することができた。
 「生命倫理」の分科会で、車椅子で参加していた国立市自立生活センターの安積遊歩さんのレポートは胸を打った。
 「私は、先天的に骨の形成が弱く、ちょっとした衝撃で骨の折れる病気で、小さいときから様々な困難にぶつかってきました。でも、生まれてきたことを後悔もしていませんし、両親から、また友人達からたくさんの愛情を受けてきたことを実感しています。遺伝子操作や出生前検査の発達で、障害児を産むことが何か悪いことのような、そして障害者が不幸であるというような世間の意識が広がっていることに、私は、自分の存在をかけてNOと言いたい、私は幸せと言いたいと思います。今6歳になる娘も同じ障害を持って生まれてきました。娘もまた、かけがえのない命、人生を大切に生きると思います」
 「子どもを産むかどうかは、最終的に女性の選択。しかし、出生前検査は障害児を排除する考えのもとに行なわれること、正確さも極めて不確実ということで、治療のため以外は認めたくありません。出生前検査にかける費用や熱意よりも、障害を持って生まれた子を支える社会環境をどうやって充実させるかに関心を注いでほしいと思います。遺伝子操作で男女を産み分けたり、頭のいい子、背の高い子などと限りなく人が人を人為的に選別し、作り上げていくことに反対の声を上げ続けなければなりません」
 「自分は、良き医者の助けで自分の子供を持ちました。様々な不妊治療やリスクのもとに障害を持つ女性が自分の子どもを産みたいと思っている人がいます。それはそれで充分共感できますし、否定する気持ちは全くありません。でも同時に、世界には、貧困、飢餓、病気、戦争で1分間に28人の乳幼児が死んでいることを思い、血のつながりを越えて子供たちのことを考えたいとも思います。血のつながりがなくとも、親子や家族はあるのです」

 私は、安積さんのお話を聞きながら、2年ほど前の月刊誌「婦人之友」の出生前診断を受けたお母さんの記事を思い出していた。その人は30代後半に妊娠して、産婦人科の医者が薦めるままに出生前診断を受けたところ、「20%くらいの可能性で障害を持った子が生まれます」と言われた。高齢出産であるし、欲しかった子どもであるし、どう受け止めていいか不安いっぱいで、その夜、帰宅した夫に告げると「そんな子どもだったら、なおさら僕たちの家庭に生まれてくるべきでないのかな」と答えてくれたという。生まれた子どもは、結果的に何の障害も持たずに生まれてきたけれど、夫の答えに目の覚める思いがしたという。

 そういえば、「神様が、あなたたちになら、この子を預けることができる」と私たちの家に生まれさせてくれたのという、知的障害を持つ子のお母さんも、私の友人の中にいる。自分が当事者にならなければ、その言葉の重さは分からないものだと思うが、私たち一人一人への問いでもある。科学の進歩は著しいが、本当に人類の幸せに使われるのか、両刃の剣である遺伝子研究には、私たちの価値観や叡智が問われている。

 DPIの会場で、世界各国のいろいろな言葉で様々な障害を持った人々が真剣に「人間とは?」「人権とは?」「自立とは?」「自己決定とは?」「幸福とは?」と生命の根源に関わる問題について語り合えた4日間、それぞれのこれからの歩みに大きな宝物になるに違いない。
 事務局の皆様、本当にご苦労様でした。そして、夢を実現、おめでとう!!




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