連載エッセイO
シベリアから聞こえてくるもの
横路 由美子

 ちいさきを 子どもと思う 軒つらら

 これは第2次世界大戦中、中国で満鉄につとめ、後に旧ソビエトに抑留され収容所で病死した山本幡男さんという人が、残してきた4人の子どもを思って作った句である。

 山本さんは学生時代にロシア語を専攻し堪能だったため、スターリン時代になるとスパイ容疑がかけられ収容所の労働も苛酷を極めた。1949年までに大多数のシベリア抑留兵士はナホトカから日本の舞鶴港へ帰還したが、山本さんには声がかからなかった。そのうち、重い喉頭と肺のガンに罹る。
 死の直前、山本さんは4500字に及ぶ遺書を書く。それまで厳しい監視の中でも、山本さんに励まされて俳句や短歌、文集等を作ってきた仲間達が、山本さんの遺書を1、2ページずつ丸暗記して帰国、日本にいる山本さんの遺族に伝えた。

 この一連のことについては、10年以上も前に出版された「ラーゲリーから来た遺書」(辺見じゅん著)で読んではいたが、過日、「知ってるつもり」というテレビ番組で見て、あらためて涙が出た。
 すでに山本夫人も5、6年前に亡くなられたそうだが、映像には10年前、80歳を過ぎて、いまやスパイ容疑も消えシベリアの地に眠る夫の墓を訪ねる夫人の姿があった。雪を払い墓石をいとおしそうになでる老婦人。ラーゲリー(収容所)の板屋根から下がる氷柱に4人の子供たちと妻を思い、ふるさとを夢見つつ死んでいった山本幡男さん…。戦争は何と悲しいものであろうか。

 私は、1992年の夏だったと思うが、当時、北海道知事だった夫を団長とする北方地域友好交流の旅で5日間、ハバロフスク、イルクーツクを訪れたことがある。ハバロフスクやイルクーツク郊外の日本人墓地は整備はされていたが、墓地を囲む白樺の木々の間を寂しげに風が渡っていた。墓石の周りの草をかきわけ、墓石をなでて望郷の心、無念の心いっぱいに死んでいった人たちのために祈った。
 旧満州、樺太などから戦中戦後、ソ連軍によって極寒の地シベリアに連行された人々は60万人以上、帰還できずに死んでいった人々は7万人以上になるという。

 シベリアから聞こえてくるもの、それは、二度とこんな思いで異国の地で死ぬ人がないように、という死者たちの声でなかろうか。白樺を渡る風にそんな声が聞こえた。




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