連載エッセイK
映画からのメッセージ
横路 由美子

 美術評論家であり映画評論家でもあられた竹岡和田男さんが突然亡くなられて1年半が経つ。この1年余り、竹岡さんが残された貴重な映画に関する資料をベースに、北海道に関係する映像というコンセプトで何とか映像ミュージアムをつくることができないかと、映画の好きな人、放送・報道の人、芸術家の方々と努力してきた。広島や福岡、横浜などにすでにそれぞれのテーマで集められたミュージアムがあるのだから、この札幌に北の映像の集積がないのは恥ずかしいくらいだ。

 映画は、時間をつくってなるべく映画館に観に行くことにしている。一人で行くこともあるし、友達と行ったり夫と行くこともある。ここ数ヶ月では、スペイン映画「蝶の舌」、そしてアメリカに住むポーランド人監督の「僕の神様」が強く印象に残った。両方とも、議員宿舎の掃除にと2日間東京に滞在したとき夫と見た映画である。

 「蝶の舌」の舞台は1936年の冬から春。スペイン人民戦線が総選挙に勝利したのに対し、フランコ将軍率いる反人民戦線派の反乱が地方から巻き起こされ、1939年のファシズム政権誕生までの辛いスペイン内乱の前夜から始まりにかけての美しいガリシア地方。
 8才の少年モンチョが大好きな先生と出会い、自然の不可思議に目を開かされ、友達や村人たちとの日常の中で少年らしい驚きや疑問、喜びを育んでいく。美味しい蜜を吸うために蝶が隠し持っている渦巻き状に巻いた舌のこと、テイロリンコというオーストラリア産の鳥の珍しい習性など、たくさんの素敵なことを先生は愛情深く教えてくれた。
 そんな日々も、だんだん内乱の気配が覆うようになり、かけがえのない先生とも決定的な別れがやってくる。先生を好きだったはずの両親や村人たちが、ファシストに連行される先生に向かって罵詈雑言を履き石を投げる。そして少年の口を突いて出てきた言葉は「蝶の舌、テイロリンコ」という言葉だった。このラストシーンに涙が止まらなかった。
 同じ国の中の人間が戦う内乱とは、こんなにも残酷で、こんなふうに始まるものかと、そして子供たちに癒しがたい傷を残していくことがよくわかる。

 「僕の神様」は1942年、ナチスによるポーランド侵攻下の古都クラコフ近郊の農村が舞台。大学教授を父に持つユダヤ系11才の男の子ロメックが、ナチスのユダヤ人狩りを逃れるために農村に送られる。
 小さな美しい村で、周りのごく当たり前のいろいろな大人や子供たちの中で、けんかをしたり恋心を抱いたりして成長していく。そんな村にもナチスはやってきて、人々を疑心暗鬼におとしいれたり、子供たちのいる前で処刑を行なったりする。
 カトリックでありながら、ロメックのユダヤ人としての尊厳を密かに守る神父、子供ながらイエスのサクリファイス(犠牲)をまっすぐ受け入れ実践するトロ、迫害の中で迫られる選択肢の一つ一つがとてつもなく重い。

 子供たちが戦争に巻き込まれる時、無垢な心が戸惑い、傷つき、解決を求めても答えの出ない不条理にぶつかる痛ましさ。今、アフガンで、パレスチナで、イスラエルで、世界各地で起こっている紛争、テロ、戦争。その中で最も傷ついている子供たちに、大人たちは深い想像力と共感力を持って、自分たちを自制しなければならないとしみじみ思った。
 映画も、音楽も、文学も、演劇も、美術も…、すべて人々が夢中になり、人生を懸けて発信しているメッセージを、せめてこちらもできるだけ時間をつくって積極的な受け手になりたいものである。