小泉内閣について
2001年6月5日
衆議院議員 横路 孝弘


1、歴史教科書問題について

 5月20日に韓国から4人の国会議員の方が来られて、意見交換する機会がありました。超党派の40代から50代の政治家で、弁護士出身の方も2人ほどおられました。教科書問題について日本で裁判を提起したいということで来られました。

 教科書の問題は大変重要な問題だと思います。
 日本と韓国との間には、1998年に小渕総理大臣と金大中大統領が発表した「新たな日韓関係のためのパートナーシップのための共同宣言」がございます。その中で、「過去を直視し、日本の植民地支配に対する痛切な反省と、心からのお詫びをもとにして、両国が過去の不幸な歴史を乗り越え、未来志向的な関係を発展させることにした」ということが基本になっています。
 そして、特にこの共同宣言の中で、「また両首脳は、特に若い世代が歴史への認識を深めることが重要であることについて見解を共有し、そのための多くの関心と努力が払われる必要がある旨、強調した」と、こういう約束を日韓両国でしたのです。
 皆さんご承知のように、日本は1910年に韓国を併合致しました、植民地化したわけです。そしてその植民地支配のもとでどんなことをしたのかといいますと、ひとつは韓国語を禁止して、日本語をみんなに強制しました。韓国の独立を求める人々を弾圧し、韓国の人々が持っている姓名を日本人の姓名に変えたのです。これは大変なことです。例えば私どもが、アメリカ人の姓名だとか、ロシア人の姓名に40年間も変えさせられていたとするならば、そんな恨みは長いこと残るわけでしょう。

 日韓関係において、そういった植民地支配の40年間という歴史があるわけです。しかし今回のいわゆる「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書は、過去を直視するというのではなくて、過去を正当化、または削除しているような内容になっています。
 この歴史教科書の検定前の記述を見てみますと、日本軍の加害行為、中国や韓国における民衆に対する抑圧については全然触れてなくて、逆に韓国や中国での日本に対する抵抗運動が出てきます。そういった排日、抗日運動を強調しています。
 つまりそのことによって、日本の支配を合法化しようとしているわけです。1910年の日韓併合は、国際法に基づいて合法だったと、日本の安全と満州の権益を守るためには必要だったと。国際政治の中で欧米列国と張り合ってやっていく中での日本の苦しみを、当時の中国人や韓国人は理解できなかったと、こんなような記述になっていますから、支配をされ、被害を受けた人々が怒るのも当然であると思います。
 そしてこの教科書は全体的に、特攻隊を讃美したり、核兵器の廃絶についても廃絶が正義であるということに疑問を呈していたり、何より大事なのは人の命よりも国家であるということを強調する、そんな教科書になっています。
 ですからこの教科書について、韓国の人々や韓国政府が抗議するのは、何も内政干渉ではなくて、歴史を直視するという共同声明に反しているではないかと、しかも歴史的な事実がきちんと記述されていないということに対する抗議だと私は思います。

 歴史教科書について、国家間での対話の必要性は、実は世界の中で特にヨーロッパを中心に昔から認識されていたことなのです。第1次世界大戦が終わった後の国際連盟の中で、1920年代から各国の歴史教科書を見ると、自分の国が行なった戦争は自国防衛のための戦争であって、外国が行った戦争はみんな侵略戦争だというように記述をして子どもに教え、そしてたまたま自国が他国を支配したような戦争があったとすると、自国が他国を支配したのは自分たちの優れた道徳や文化を普及するために必要なことだというような記述をしていています。
 どうしても自国の歴史の光の部分だけを記述し、陰の部分を記述しない。周辺の国との関係でいうと、自国の優位性ばかりを強調することから、子供たちが周辺の国に対して悪い感情をもってしまう。そこで歴史教科書についての対話が必要ではないかということが非常に意識されるようになったわけです。
 そしてすでに1930年代に北欧諸国のノルウェーやスウェーデン、フィンランドで、それぞれの国に教科書検討委員会をつくって、例えばノルウェーの教科書を他の国が見て「これでいいよ」と決定したら、ノルウェーは自国の歴史教科書を発行するという仕組みを作りました。
 そういう努力が行なわれたのですが、第2次大戦に突入してしまって、ヨーロッパは大変な戦場になりました。ナチスのああいう残虐な行為も行なわれたのです。
 そして戦後、歴史教科書の対話が再開しまして、特にドイツが中心になってフランスやポーランドとの間で歴史教科書対話が行なわれました。もう30年も40年も経っていますけれども、なおかつそういう努力が進められています。
 そして古代史から現代史に至るまで、お互いの国の教科書の記述について専門家がいろいろと議論しながら、お互いが合意したことについて教師のための共同の、日本でいえば学習指導要領のような本が作られて、それに基づいて教えるという努力をしてきているのです。それは歴史をできるだけ共有するという努力なのだと思います。

 いま21世紀の世界で何が必要かというと、やはり対話だと思います。地球の文明にはいろんな民族がそれぞれに文化をもち多様性を持っています。そしてその多様性をお互いに認め合うことが、非常に大事なことだと思います。
 戦争の多くは、いわば違いを恐れる人々によって引き起こされているということも言えるわけで、こうした恐れを克服できるのは対話だけだと思います。特に学校において歴史や地理の勉強をすることは、自国だけでなくて地球市民としての役割をみんなが担えるためにも必要です。自国だけでなくて他国の人々について学ぶために、歴史や地理の重要性というのは一段と大きくなっているのだと思います。


2、偏狭なナショナリズム

 そうした意味で、この教科書問題を私は見過ごすわけにはいかない。いまの日本の状況を考えますと非常に心配があります。韓国から来た4人の国会議員の人々は、日本の社会は右傾化しているのではないか、排外主義に向かうのではないかと心配していました。
 確かに国内に不満と不安がたまってくると、目を外に向けるという手法は歴史の中で何度も繰り返されてきたことであります。
 特に偏狭なナショナリズムというのが力を持ってくるのは、その社会がやはり危機に直面しているときだというように思うのです。
 考えてみますと現在の日本の社会は、犯罪は史上最悪、失業と倒産が増える、ホームレス、自殺も最悪といったような時代で、社会の連帯感も家族の絆も失われてしまった。そんな時代の中で、また非常にこうした閉塞感の中に我々がおかれているわけでして、こんなときに本当に偏狭なナショナリズムが力を持ってくる危険性を私どもは忘れてはならないと思います。

 過去の例ばかりではないのです。例えばユーゴスラビアの前大統領・ミロシェビッチは、大セルビア主義という名のもとにアルバニア系住民の排斥運動を行い、それが虐殺へと向かっていったことは記憶に新しいわけで、いまはユーゴ国内から、政治家やマスコミのそうした煽動に乗ってしまったと反省する声が非常に強くなっています。もともとユーゴの中では、アルバニア系もセルビア系もみんな一緒に仲良く生活して、お互いに結婚したりしていますから、親戚同士もたくさんいるのです。それなのに、そうした偏狭なナショナリズムに煽られて今日の事態を招いてしまったと、いまになって反省する知識人が大変多いのです。
 日本の中でも石原慎太郎東京都知事が、最近外国人の犯罪が増えているということを捉えて、「第三国人による治安の乱れ」と指摘し、秩序維持のための自衛隊の役割などを強調したり、教科書問題での韓国や中国の政府の抗議を「内政干渉」といって声高に唱える意見も国内で強くなってきています。
 私は、積極的なナショナリストを孤立させ包囲するような多数派を市民の力で社会の中に形成することが必要だと考えています。


3、靖国神社

 小泉さんは靖国神社を参拝すると言われました。今日の日本の平和と繁栄の陰には、命を犠牲にされたたくさんの戦没者の方々がおられるということ、そのことを忘れずに戦没者に対して心をこめて感謝の真を捧げたい。捧げるために靖国神社に向かうのだと、こういうことを言われています。
 今日の平和と繁栄の陰に、あの戦争で命を犠牲にされたたくさんの方々、その犠牲の上に今日の日本の社会があるというのは、誠にその通りだと思います。
 戦前の社会は国家が全てでした。一人ひとりの国民は政治に参加することも発言や行動する自由もありませんでした。そして国家の決定に従い、命じられるままに戦争に狩り出され死んでいったのです。この国家第一の価値観を180度変えたのが戦後社会です。
 戦後社会は一人ひとりの国民を第一に考える。国民があってはじめて国があると価値観を転換させたのです。国民主権、基本的人権、平和主義の憲法の原則はまさに人間尊重、個人を大切にする基本を明らかにしたものです。再び国家第一の日本社会にしてはならないと思います。
 ところで、戦争で亡くなった人々のために、日本政府、日本の国家は一体どんなことをやってきたのでしょうか。この戦争で日本人の戦没者は310万人です。アジア全体ではこの戦争で2000万人以上の人が亡くなっています。310万人のうち軍人軍属の方が240万人、この亡くなった240万人のうち日本に帰ってきた遺骨がどれだけあるかというと、123万6210柱、の遺骨なのです。いまだ帰らざるもの、116万3790人もおられるのです。
 アメリカが北朝鮮と国交を回復する、ベトナムと国交を回復するというときのテーマはいろいろありました。それは北朝鮮でいいますとミサイル問題とかエネルギー問題とかいろいろあったけれども、第1議題は何かというとあの朝鮮戦争で亡くなったアメリカ兵の遺骨の収拾です。ベトナムでも全く同じです。
 日本政府も遺骨の収拾を戦後行なってきました。政府が収拾したものは30万人ちょっとです。しかし終わったわけではありません。まだ半分残っているわけです。しかも硫黄島に1万1860人の遺骨が収拾されないまま放置されているのです。硫黄島というのはもちろん日本の領土です。しかもあそこで自衛隊が基地を持って演習を行っています。硫黄島に作った飛行場では米軍が離発着の訓練をしている。こういう国は世界のなかであるのか、日本だけです。
 小泉さんは厚生大臣として4回もこの遺骨収拾の責任者だったわけです。そしてこうやって収拾した遺骨はどこにあるのか。靖国神社にあるのではないのです。靖国神社のすぐそばの千鳥ヶ渕の戦没者霊園に祀られているわけです。ここに34万8406柱ここに祀られています。ここに行って頭をたれることこそ必要なのです。
 中国や韓国の政府が、総理大臣が靖国神社を公式参拝することに反対しているのは、A級戦犯も合祀されているからなのです。ヒトラーの墓にドイツの大統領が参拝したら、近隣の国は決して許さないでしょう。もちろん政教分離の問題も国内的にはあります。要するに、戦後がまだ終わっていないのです。一日も早く遺骨の収集は行わなければならないと思います。
 しかも最近の研究で大変ショッキングな研究報告がなされました。戦死された人のうちの60%が戦闘による戦死ではなくて、栄養失調による病気や飢えからだったということがわかったのです。一橋大学の名誉教授の藤原先生がまとめられました。こんな国もないのです。どうしてかというと、食糧について現地調達主義をとったからです。やはり過剰な精神主義、そして後方支援、補給部門を軽視した悲しい結末です。
 参謀などの机上の空論。空論的な作戦だったということです。この先生の表現を借りれば、「飢餓地獄の中での野垂れ死にだった」と。戦争を引き起こして、国民を戦場へ駆り立てた国家の責任というのはまさに重大なのです。
 亡くなった人々のおかげで、戦後の日本の繁栄があるというのはその通りです。しかし同時に、無謀な戦争を引き起こしたこの国家の責任ということ、例えば特攻隊とかですね、誰が一体あんなことを考えたのでしょうか。この人々の犠牲の上に憲法が制定され第9条が生まれたわけです。これを清算していいのでしょうか。特攻隊として戦死された人数は陸軍、海軍合計して5831人もいるのです。信じられません。一体戦争で亡くなった人々に小泉さんはどのように説明するのでしょうか。
 戦争を遂行するために、人々の人権を制限しました。戦争に反対して、集会を開いたり、表現の自由はなかったのです。資源は国家が管理しました。そして国内外2000万人の人々が亡くなりました。そういう人々の犠牲の上に、まさに国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を基本とする憲法が生まれた。この憲法は厳然として日本の歴史の中に、そしてアジアを中心とした国際社会の中に存在しているということを忘れてはならないと思います。しかも最近、集団的自衛権の議論が出ています。


4、集団的自衛権について

 日本にいる在日米軍はどういう範囲を受け持っている部隊かといいますと、ハワイの西側の太平洋地域全域からインド洋中東地域まで。これらの地域で何らかの紛争があったときに、アメリカは自国の国益に関すると思えば自由に軍事行動を展開します。
 そういう部隊が日本の基地にいる米軍の役割であります。そしていまブッシュ政権ができて、もうヨーロッパでは冷戦が終結したけれども、アジアにはまだ紛争が惹起する可能性があるので、これから部隊を欧州からアジアへ、そして朝鮮半島から台湾海峡へ動かしていこうと、いわば対中国封じ込め作戦といった冷戦のときのような脅威を作り出していこうという傾向が非常に強くなっています。
 そうした中で日本に対してはパワーシェアリング、いわば力を分担してほしいという意見が出てきているのです。それが集団的自衛権です。集団的自衛権というのは、日本の自衛隊は日本の国土を守る軍隊ですが、アメリカとの間に相互の集団的自衛権の行使を認めるということにしますと、米軍と行動を共にすることになるのです。先ほどのハワイの西側太平洋地域からインド中東地域までの紛争に、米軍の要請があれば日本の自衛隊も参加するということになるわけです。
 一体いま何が具体的に必要なのか。亀井静香自民党前政調会長は、各国の米軍基地への攻撃にも集団的自衛権を行使するのだと、韓国における米軍基地が攻撃されたら日本の自衛隊が支援するということを言って韓国政府の抗議を受けました。山崎拓幹事長は、周辺事態のときに後方支援ではなくて戦闘行動も一緒に行なうということを言っています。
 周辺事態というのは何か、日本の安全保障というよりは朝鮮半島や台湾海峡で何か起きたときに米軍が行動する、その米軍の行動を後方支援するというのは周辺事態法、ガイドライン法のときの後方支援でしたが、それを後方から支援するのではなくて、前線に行って戦闘行動を一緒に行なうということなのです。
 こんなことをいま行なうのが、本当に亡くなった戦没者に対して応える道なのでしょうか。私はそうではないと思います。中曽根元総理大臣が朝日新聞でこういうことを書いています。「今日の日本の政治経済社会の崩壊というのは、戦後導入された欧米の価値観、その欧米の価値観の氾濫によって、日本固有の道徳律やあるいは倫理、規範というものが衰退したからだ。従って現在、憲法以下社会体制を日本化して、日清戦争、日露戦争に勝った民族的同化力を発現するべきである。そのためには教育基本法と憲法を改正して、集団的自衛権の行使を認めるべきだ」ということ言われています。
 この考え方のいったいどこに、戦争や植民地支配の反省があるのか、きわめて偏狭なナショナリズムだけです。欧米の考え方、価値観を入れたというのは何を意味しているのかわかりませんけれども、一人ひとりの個人が大事だということならば、それは何も欧米というよりもいまや地球全体の共通の価値観だというように思います。
 こうした中曽根元総理がバックにおられて、いまの政権が憲法改正、集団的自衛権の行使という路線を歩んでいくとするならば、これは日本の21世紀は本当に20世紀の反省を何も活かさない道を歩むことになるわけで、私は、小泉政権はまだ多くを語っていませんが、その語っていない中で語った憲法改正と集団的自衛権の行使ということに大変大きな危惧を持っております。小泉政権について心配な点はこの点がひとつです。


5、構造改革でどんな日本社会をつくるのか

 小泉総理は不良債権の処理、財政構造改革、規制の緩和を一層進めることを表明され、具体的に道路特定財源の一般財源化、地方交付税の1兆円カットなどの作業が始まろうとしています。
 個々の問題については本当の改革になるように議論を行っていきたいと思いますが、問題はこれらの構造改革を実現して一体どんな日本の社会をつくるかという事です。
 小泉総理が行おうとしているのは、一言でいえば市場主義に基づいた競争と効率の社会です。例えば雇用の流動化を進め、解雇が自由な社会にしようと検討されています。バブルとリストラの10年間で失業者も340万人と雇用が劣化しています。
 非正規社員が3割を超え、パート、派遣労働者が1400万人にもなっています。これらの人々は正規社員に比べて賃金が60〜70%で、社会保険の適用も受けていない人が多いのです。
 企業の中で少数の正規社員と派遣社員、圧倒的多数のパートとアルバイトという身分による階層化が進み、結局、社会そのものが階層化する危険性があるのです。所得の格差が拡大し、雇用が不安定になるのです。
 1990年代のアメリカがそうでした。「流動性の高い雇用システムこそが、満足度の高い社会なのです、アメリカを見習いなさい」と主張されてきたのが経済戦略会議であり、現在の竹中経済財政大臣です。
 アメリカは解雇が自由です。一時帰休制度といっても解雇されたら戻ることはほとんどなく、景気が良くても毎年レイオフが行われているのです。しかもアメリカは実力社会で学歴社会ではありません。だから一般的にはどんどん職を変えるのだといわれています。
 若い人は学校を卒業した直後はJob Shoppingといって自分にあった仕事があるかどうか、いくつか職を変えるようですが、しかし、これだと思ったら定年まで働きたいという調査もあるのです。ある企業の調査ですと80%以上の人が定年まで同じ企業で仕事をしたいと望んでいるとのことです。
 また、アメリカ大統領への最近の報告の中で、1979〜1999年までの20年間で大卒者の賃金は15%アップ、高卒は15%ダウンしたという報告が出されています。そして結局、今のアメリカの雇用は賃金格差が拡大し、雇用保障が著しく低下している社会になっているのです。
 毎日、解雇の恐怖におびえ、何倍も何十倍も格差のある賃金の下で生活し働かなければならない社会は望ましい社会なのでしょうか。
 クリントン大統領とブレア首相が中心になって世界的な雇用サミットを開いてきました。この結論は、やはり長期的・継続的に安定している雇用があって、はじめて社会は安定し、経済は発展するというものでした。当然のことです。結婚して家庭を持ったときに、ある程度先の見通しがたってはじめて家族設計もできるのです。フリーターがどんどん増えて(一般には340万人いると言われています)、その60%が親と同居している社会は、ますます少子化がすすみ、社会の活力が失われてしまうでしょう。
 竹中経済財政担当大臣は「強いものはより強くすることが、社会の活力を生む」「低所得者が所得のある人の足を引っ張ってきた」として、法人税の減税、所得税の最高税率の引き下げとフラット化、相続税の引き下げ、そのかわり消費税を14%に上げるという世界を描いておられます。
 現在でも高齢者世帯、雇用者世帯の資産をみますと、貯蓄200万円以下の世帯が全体の40%を占め、既に二極化が進んでいるのです。
 「結果平等社会が日本をダメにした。機会の平等だけでいいのだ」と主張する人がいます。しかし現在、機会の平等や結果の平等社会になっているのでしょうか。障害者の人達の欠格事由が少しずつ解消されようとしています。しかし法律的に機会が与えられたらそれでよいのでしょうか。
 機会だけでは、例えば障害者は就職が出来ないから、法定雇用率の制度があるのです。あっても守らないで、罰金を払っている大企業がたくさんあります。聾唖者の人たちが医師や薬剤師になる道が開かれました、しかし大学の授業をどう受けるのかという問題があります。バックアップのシステムが必要なのです。
私たちは、努力するすべての人々にその機会が、実質的に与えられる社会にしなければなりません。まだまだ結果の平等を追求しなければなりません。
 あるいはこんなことを言う人まで最近出てきました。「いずれは子どもが修学するときに、遺伝子の検査を行なって、それぞれの子どもの遺伝情報に見合った教育をしていく形になると思う」。ヒトラーと全く同じことを言っているのは、ノーベル賞をもらった江崎玲於奈という学者です。
 また「非才、無才、つまり能力のない人たち、能力のない人間は実直の精神だけでよい。ゆとり教育の本当のねらいは、優れたリーダーを養成することにある。エリート教育と言いづらいから回りくどく言っている」というようなことを言っているのは誰でしょうか。その人は文部省の教育課程審議会会長の三浦朱門という作家です。
 いわばこういった、強いものを強くすればいいのだというのは竹中経済財政大臣が言っていることと全く同じです。「強いものを強くすることによって社会を引っ張っていこうじゃないか。それによって、みんなが幸せになるのだ」と言っていますが、本当にそうでしょうか。

 いま日本の社会には、未来への不安が広がっています。犯罪が史上最悪になりました。自分の子どもや夫や妻に保険金をかけて殺してしまうという信じられない事件も起きています。家庭や家族の絆もどうなったのか、家庭内暴力や児童虐待などが相次いで報道されています。バブルやリストラの影響で失業者も倒産も最悪の事態です。また自殺者もホームレスも史上最悪の数字です。
 こうした中で、人間同士の基本的な信頼関係も崩れかかっているのが日本の社会ではないでしょうか。構造改革の名の下に全てに市場主義が導入されると、サッチャー政権後のイギリスのように格差が拡大し、社会がますます不安定になるでしょう。
 人々が安心して生活していくということが、いま何より大事なのです。


6.人々が共に生き、協力し合える社会づくりを

 私は競争と効率ではなく、人々が協力し合う協力社会をつくるべきであると思います。そのためには、人間の生存に必要不可欠なものがいくつかあります。個人の自己責任だけではできないことも多いのです。
 それがいわゆる「公共財」です。警察や消防、教育や社会保障などは安心の給付として公的セクターが主たる責任を持つべきものです。
 市場原理、弱肉強食の市場原理を入れてはいけない分野を市場主義で行えば、さらに安心感と信頼感が失われてしまいます。
 日本の市場は確かに不自由で、不透明で不公正です。ですからもっと自由で、透明で公正にしなくてはなりません。しかし、それには企業も守るべきルールがあり、そのルールを決めて守らせていくのも公的セクターの仕事です。
 自由競争の結果生まれる社会的、経済的歪みを是正し、福祉や環境、人権、安全といったものを守り、市場から供給されないものを供給するのも政府の仕事です。もちろん公的セクターを中心にNGO、NPOのような市民セクターそして民間セクターも役割分担しながらネットワークを組むことも大切なことであり、特に今後市民セクターを日本で育てていくことが必要だと思います。
 また、社会的公正も大切であり、雇用でいえばパートや派遣労働の差別を禁止することが必要です。
 バブルとリストラの10年で日本の社会で失われたものはあまりにも大きいのです。
 第一にモラルを喪失しました。公平、平等といった正義の概念がなくなり、私利私欲の世の中で金まみれになってしまった。汗水流して働けば必ず報われる社会から、投機で金儲けする社会になってしまいました。
 第二に謙虚さを喪失しました。自然に恵まれている日本はいつも自然と共に生きてきました。自然の恐ろしさも、自然の恵みも知り、自然の中に神を見て謙虚な生き方をしてきましたが、バブルで自然にも社会にも、他国にも「カネ万能」になり、この謙虚さを喪失してしまいました。
 第三に、リストラを含めて一層競争と効率の社会へと進み、社会の連帯感がなくなり、家庭の絆が失われようとしています。

 コイやフナ、ドジョウ、メダカが共に生きる社会が日本の社会であり文化です。ここにブラックバスを入れるとどうなるか。ブラックバスは自由に楽しむでしょう。しかし他の魚は生存が脅かされ自由がなくなってしまうのです。
 よく見極めていきましょう。

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