ベトナム・カンボジアを公式訪問
〜アジアの平和・発展に向けた日本の役割を再認識〜


よこみち孝弘ネットワーク通信No.30 2〜3ページ


 横路さんは7月25日から8月2日まで、ベトナム(ホーチミン、ハノイ)とカンボジア(シアムリアップ、プノンペン)を衆議院副議長として公式訪問しました。


<戦争の傷跡と経済発展が交錯する国・ベトナム>

 ベトナムでは、グエン・ミン・チェット国会主席、グエン・タン・ズン首相、グエン・フー・チョン国会議長らと会談。さらにベトナム戦争証跡博物館や日本の政府開発援助(ODA)で建設されたチョーライ総合病院などを見学しました。
 ベトナム戦争が終わってから30年が経ち、ホーチミンやハノイの都市は活力にあふれ、これから大きな力を持った国に発展していくものと思われます。またホーチミンでは札幌市西区にあるホテルヤマチのチェーンホテルの社長さんにお目にかかり、ハノイでは(株)ニトリの家具工場マルミツベトナム工場を視察しました。
 またホーチミンやハノイで活動している日本の青年海外協力隊の皆さんとお会いしましたが、北海道出身の方々がどこにもおられ、元気に活躍されていました。
 一方、ベトナム戦争の傷跡が全て無くなったわけではなく、米軍の枯葉作戦による影響を受けた母親や子供たちがたくさんおり、まだ何の解決もみることなく問題を抱えております。
 ベトナムの首都である北部のハノイは、中国南部の広州と結ぶ経済圏であり、南部のホーチミンはインドネシアやタイと結ぶ経済圏であり、インドシナ半島の横断的な道路の建設も進められており、ベトナムは非常に将来の発展が期待されています。


<チョーライ病院(ホーチミン市)>
1900年に設立された総合病院で、ベトナム南部の中心的な医療機関。日本は92〜94年にかけてODAにより建物・給排水施設改修や医療機器供与が行われ、現在も病院管理、臨床医療、看護、地域医療分野への技術協力を行っている。


<戦争証跡博物館(ホーチミン市)>
ベトナム戦争で実際に使用された戦車や大砲、爆弾などの戦争遺物、目を覆いたくなるような悲惨な写真パネル、枯葉剤による奇形胎児などを展示している博物館。
展示品を見ると衝撃を憶え、あらためて戦争の愚かさを思い知らされる。


<マルミツベトナム工場(ハノイ市)>
家具の製造・販売をしている(株)ニトリの子会社。日本人従業員14人はみな北海道出身、ベトナム人650人。現在は1日500個の家具を生産、来年12月までに1000個に増産する計画。


<混み合うホーチミン市内>
1975年までは「サイゴン」と呼ばれていたベトナム最大の商業都市で人口は約611万人。街にはバイクの巨大なうねりが途切れることもなく続き、その多さと交通マナーの悪さには驚く。



<文廟(ハノイ市)>
1070年に孔子を祀るために建設された廟で、孔子廟とも呼ばれている。境内にベトナム最初の大学が開設され、1779年まで数多くの学者や政治指導者を輩出。


<遺跡修復や不発弾処理で活躍する日本の若者たち・カンボジア>

 カンボジアでは、チア・シム上院議長やヘン・サムリン国民議会議長、フン・セン首相と会談し、国立医療技術学校やJMASによる不発弾処理現場を視察しました。
 また日曜にはタブロム寺院やアンコール・ワットの遺跡を見学しました。(写真)
 カンボジアは主に首脳との会談でしたが、ポルポト派との内戦の傷跡はまだ残っており、2万人もの市民が虐殺されたクメール・ルージュ裁判が今やっと行われるところだそうです。
 国づくりはまだこれからで、農村の灌漑体制を作ることで農村の発展が期待できるものと思われます。
 日曜に訪問したシアムリアップでは、アンコール・トムやタブロム寺院、アンコール・ワットの遺跡の復興に協力している早稲田大学の中川教授、上智大学の皆さんから説明を受けました。ここでも日本の果たす役割は重要なことと認識いたしました。

 カンボジア国家予算の2割にあたるお金を日本はODAで援助しており、ここにも北海道から来た青年海外協力隊の方々が活躍していました。
 特にカンボジアで問題なのは地雷と不発弾の処理がまだ充分には行われていないことで、地雷はポルポト派によってカンボジアとタイの国境に近い西側の方に埋められています。不発弾はベトナム戦争のときに米軍が落していったもので、首都プノンペンやその周辺部にあり、この不発弾処理に今後100年はかかるであろうといわれています。
 日本のNGOが不発弾処理をしている現場に行き、B−52から落とされた500ポンド爆弾を2mぐらい掘った穴に埋めて、700〜800m離れた所から私がボタンを押して爆破処理をしましたが、破片は約100m四方に飛び散りました。このような爆弾がまだまだ数多くあることは大変なことです。
 この不発弾の処理に、爆弾を落とした米国は一銭もお金を出さず、協力もしていないのです。


<JMAS隊員ら>
これまでに処理した不発弾は78,829個、地雷は4,186個。彼らの活動により938村、687,172人を不発弾などの脅威から解放。カンボジア南東部では不発弾を2012年までに、西部では地雷を2010年までに除去し被害をなくす計画。


<今回爆破処理される不発弾>

<爆破の遠隔操作装置>


<爆破の瞬間>


<中田国連職員慰霊碑に献花する横路さん>
国連ボランティア職員として活動し、93年に殉職された中田厚仁氏の慰霊碑。事件現場となった村はその後7村で合併し、村名は「ナカタアツヒト村」とカンボジア政府が決定。


<セントラール・マーケット(プノンペン市)
プノンペン最大の市場で市中心街にあり、商店が連なる商業地区の核となっている。現地では「プサー・トウメイ(新市場)」と呼ばれている。


初めてのベトナム、カンボジア訪問でしたが、日本で考えていた以上にそれぞれの国、地域が頑張って努力しており、日本人や日系企業の活躍、日本の外交努力やODAなど、日本の果たすべき役割は大変大きなものであると強く感じ、帰国しました。