震災復興、原発処理の財源をしっかり議論

 

 皆さんこんにちは、横路孝弘です。
 9月5日から3日間ほど、ウクライナの首都キエフとチェルノブイリ原発の現場に行って参りました。チェルノブイリ原発の事故から25年経っております。

 今から考えますと、日本のいわゆる「原子力村」の人々、電力会社や当時でいうと通産省、科学技術庁、今の経済産業省、そして原発を担当していた人々、あるいは推進してきた学者はみんなチェルノブイリ事故のときに「あれはソ連の出来事だ」と、日本とは技術が違うというようなことを言って、教訓として何も学ばなかったんですね。
 事故の形態そのものは今回の福島と違うのですが、しかしその事故発生後のいろいろな問題、たとえば避難する、食品の汚染が発見される、子どもたちに甲状腺ガンが発見される、様々な健康障害が出てくる。こういった経緯経過というのは、もし東京電力にしても、あるいは原子力保安院にしても、あるいは官邸にしても、充分知っていればもっと事故後の対応が迅速かつ的確にできたのではないかという思いを非常に強くいたしまして、実際どうなのかということで3日間ウクライナ、キエフを訪問し、チェルノブイリへ行って参りました。

 キエフのチェルノブイリ博物館で充分お話を聞き、また事故以降支援活動をしている日本やウクライナのNGO組織の人々ともお話をし、ウクライナの医療関係者の皆さんのお話も聞いて参りました。
 朝早くキエフを出発しチェルノブイリに入りまして、原発から30キロ、10キロというチェックポイントがございました。まず行政を担当している事務所で話を聞きましたが、その前に広場がありまして、そこに墓標が100本ほどずっと2列になって並んでいるんですね。何ですかと聞いたら、それはこの30キロ圏内で廃村になった、いわば「死の町」になった町や村の数なんだということでございました。

 チェルノブイリの原子炉4号機から400〜500メートル離れたところで説明を聞き、そこから車で10分くらいの5万人が住んでいた町、完全に「死の町」になっているプリピャチ市を見て参りました。この町はあと100年間は人が住むことができないということでございまして、ウクライナのこの25年間の経緯経過を充分参考にしながら、私どもがこの福島の事故後、どのようにして人々の健康を守っていくのか、そして汚染されている地域をどのようにしてその汚染を取り除いていくのかということが大変大事だと思います。

 チェルノブイリから100キロ近く離れたところで10年くらい経ってから汚染がひどいということがわかって、避難の指示が出たということもありまして、風の流れによってどこに汚染された地域があるのかよく調べなければいけないんですね。ですからこれからも福島県ばかりではなくて、当時の風の流れを分析して、そして汚染の地図ももっと詳細なものを作っていくことが必要だろうと思っております。

 国会は会期延長になりまして、そして第3次補正予算を組んで、また始まるということになろうかと思いますが、いずれにしても震災の復興とこの原発問題の処理というのはこれからのエネルギー政策、あるいは復興の財源をどうするかということ含めてしっかりと議論しなければいけない課題だと考えております。
 ありがとうございました。

   2011年 9月 18日

横 路  孝 弘