もう一度、教育基本法の原点に帰るべき
〜改正案の衆議院強行採決を受けて〜

 

 皆さんこんにちは、横路孝弘です。
 国会では教育基本法改正案が野党欠席のまま衆議院を通過してしまいました。
 教育基本法というのは時代に合わないとか、占領下でできたとか言われていますけれども、戦前戦中の教育勅語は天皇のために死ぬことができる人間をつくることを目標としてでき上がったわけですから、戦後新しくスタートする国家の理念になりようがないわけですね。
 そこで当時の文部大臣だった田中耕太郎さんがこれに変わる新しい教育の基本を定めなければならないと提起して、東大の学長だった南原繁さんや、のちに文部大臣を務めた天野貞祐さん、学習院大の安倍能成先生など、そういうたくさんの有識者の人たちが30回近い議論を重ねてできたのが教育基本法です。

 教育基本法を読んだことのない方が80%近くもおられるということですが、例えば前文ではどういうことを言っているかといいますと、世界の平和と人類の福祉に貢献しようという決意を持って日本国憲法を制定したと。この理想である世界の平和と人類の福祉の実現は根本において教育の力にまつべきものであると。したがって個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期すると。そして個性豊かな文化の創造をめざす教育を徹底しなければならないということが前文に書いてあります。
 第1条の「教育の目的」を読んでみます。「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」
 そして第2条の「教育の方針」には「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。」というように書かれています。
 これらのどこに問題があるのでしょうか。まさに教育というのは人格の完成をめざして行うんですね。それが今の受験競争の中で、なんか受験のための教育みたいに堕落してしまっている、あの世界史の未履修問題もそうですね。
 そしてここにあるように自他の敬愛、自分だけではなく他人も敬愛し、そして協力すると。これは何かというと、やはり一人一人の個人の尊厳を重んずるということなんですね。そのことがしっかり行われていればイジメなんて起こらないわけですよ。

 問題は、戦前は国家が第一で国民は後回しだったわけです、第二だったわけです。戦後の憲法と教育基本法はそこを大きく変えて、何よりやはり国民あっての国であると、国民が第一で国家が第二というように、価値観の大きな転換をしたんですね。
 先日の教育基本法改正案の委員会における自民党の賛成討論を見ましても、戦後教育はあまりにも個人の尊厳を重んじすぎたと、だからこれからもっと国家に奉仕するような人間をつくらなければいけないと発言しています。つまりまたもう一度国家が第一、国民は後回しと、そのために教育というものをひとつの手段として使おうというのが今の教育基本法の改正問題の基本なんですね。

 私は、現行の教育基本法は人類のいわば普遍的価値というものがしっかりここに表現されていると思います。国家より上のものですよね、人類の普遍的な価値。やはりそれを追求して人格の完成をめざして教育というのは行われなければならない。
 もう一度教育基本法の本当の原点に帰って、教育というものを、これは家庭における教育、学校における教育、社会における教育、第2条にありますように、教育の目的はあらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければいけない。そのことをやはり私どもははっきり考えていかなければならないと思います。

 バブルが崩壊して、そして小泉内閣のもとで弱肉強食の政治が行われてきました。あのバブルのときに汗水流して働くのはバカらしいと、投資投機で頭を使えと言った経済評論家がおり、そういう流れの中で小泉・竹中路線というのはまさにそういった政策を実行した。
 ホリエモンの裁判の様子を見てても、まさにそういうような流れの中で、勤勉とか、責任とか、努力とか、平等とか、誠実とか、そういう言葉はなくなっちゃって、もっぱら競争、効率、悪平等みたいなことが増えてきているのも、教育基本法を実践しなかった結果であると言わなくてはなりません。
 今後の参議院における審議をどうぞ注目いただければと思います。ありがとうございました。

   2006年11月18日

横 路  孝 弘