民主党全国研修会パネルディスカッション

「分権社会を目指して、いま、何をなすべきか」

2000.9.10


     パネリスト  浅野  史郎 宮城県知事
             橋本 大二郎 高知県知事
  コーディネーター 横路 孝弘 民主党副代表・衆議院議員


○横路孝弘副代表 先ほどの鳩山代表の大変に熱のこもった受諾演説がございましたが、そのなかでも日本の国の形を変えていこうということで地方分権に触れておられました。また、この間の衆議院選挙のわが党の公約の第1の柱が「分権連邦型国家」に日本の国をしていくということでした。これは候補者の皆さんから「内容として、どんなイメージをしたらいいのか」という大変厳しいご批判をいただきましたので、NCのほうで地方分権の議論をしてまいりました。そこでは地方分権、あまりにも中央集権的な霞ケ関を解体して、市民自治をしっかり確立していこう、地域のことは地域で決めるということを権限・財源、両面からしっかりしていかなければいけない。同時に、税制の問題その他含めて国と都道府県・市町村という自治体の役割分担をどうしていくのか。これからの議論なんですが、これは新しく誕生したNCキャビネットの非常に大きい仕事だと思います。
 そこできょうはお2人の知事さんから、実践をされているお立場で、分権社会を実現していく上で一体何がネックになっているのか、いろいろいなご苦労もあると思いますので、そんなお話をお伺いしたいと思っています。
 市民自治ということで考えますと、「参加と決定」ということだと思います。そのための情報の公開なども必要になってくるし、同時に市民の意識も変わらなければならない。いままでは行政のサービスの「受益者」としての存在でしかなかったわけですが、そこから本当に分権社会をつくっていくために市民もどういう努力をしなければいけないのかということも1つあろうかと思います。それから市民自治を実現していくためには、地域における経済も力強いものを持たなければいけないという点でいうと、今回の総選挙で公共事業の問題を私ども提起しました。そのとき同時に公共事業にかわる地域を支えていく経済、地域経済をどのように考えていったらいいのだろうかということも議論になって、私どものいまの課題になっています。この公共事業をめぐる議論についてもお2人の知事にお伺いしたいと思いますし、少子高齢社会になって福祉というのは地域で考えていかなければなりません。そんな意味で介護保険制度が市町村中心に導入されたことは、地方分権という立場からも好ましい方向だと思います。しかし、同時に高齢化率も非常に上がっていくなかで地域社会をどう進めていくのか、そのなかにおける高齢者の役割も大事になっていくでしょう。こういう少子高齢社会における地域福祉についてのご意見も伺いたい。
 切り口がたくさんあるので、最初にお1人15分ずつお話をいただいて、そこで出された問題を受けて議論をしていきたいと思います。
 それでは、最初に橋本・高知県知事からお願いをいたします。
○橋本大二郎・高知県知事 皆様こんにちは。高知県知事の橋本です。本日は民主党の全国研修会にお招きをいただきまことにありがとうございました。
 私は鳩山代表と小学校同級生ですので、直接お電話をいただいたことがきょう出てきたきっかけですが、皆さんもご承知のとおり自民党最大派閥の長を血を分けた人がやっておりますので、はたして出ていっていいものかなと思いましたが、まあ浅野さんも一緒に来るというので、2人合わせて何か薄まればいいだろうと思って出させていただきました(笑)。同時に、都市型政党といまいわれつつある民主党の皆さん方に、地方で政治・行政に携わる立場からの思いというものがあるので、そういうことをー言申し上げたいとも思いました。
 横路副代表からご提言のあった点は、それに全部答えていると1人で40〜50分話さなければいけなくなるので、まず、いま申し上げたような点をちょっとだけ触れさせていただきたいと思います。
 民主党は前回の選挙でも特に都市部で大変健闘されたし、躍進をされたと思っております。その結果「都市型政党」というイメージにもなるし、また主張された公共事業の見直しの論議なども含めて、やや民主党の存在というものが大都市と地方の対立の構図の象徴のようになりつつあるのではないかなと感じます。そのことは民主党の将来にとっても決していいことではないと私は勝手に思っておりますし、また日本のためにもいいことではないのではないかと思いますので、大都市と地方との関係をどうとらえていくかというところから少しお話をさせていただきたいと思います。
 たとえば税金を納める側と使う側について、いまは大都市部で全体の2の部分が税金として支払われ、地方で納められる部分が1である、2対1である。これに対して、使っているのは地方が2で、大都市部が1だ。これは不公平ではないか、ということが公共事業の見直しの議論の1つのベースにもなっているのではないかと思います。
 たしかにいまその方々がどこに住んでいるかという居住地のベースでいえば、大都市部で納められる税金と地方で納められる税金は、大都市部が2、地方が1。そして使っているほうはその逆という数になります。
 しかし.大都市部におられる方のなかにも地方出身の方が多数おられるし、そうした地方出身の方々は少なくとも高校ぐらいまではふるさとにいて、18歳までの間に教育の投資をはじめさまざまなその地域でのサービスを受けています。その受けたサービス、費用をその地域では還元をせずに、大都市部に出ていって仕事をされて税金という形で還元をされるということになりますので、その何割かが地方の側に回されることは決して不合理なことではないのではないか。つまり出身地ベースで見れば居住地ベースとはまったく違った比例の数値が出てくるのではないか。
 そういうことから考えますと、いまの時点で静止画のように「大都市と地方」というものを切り取るのではなくて、過去からいままでの時間的な経過、また現在から将来までの時間的な経過、こういう流れのなかで大都市と地方の関係を見つめ直していくべきではないか。そういうことをもう少しわかりやすく説いていかれると、地方の側にとっても納得のいくさまざまな考え方が出てくるのではないかと思います。
 いま過去から現在までの流れということで申し上げましたが、将来への流れということでいうと、私は知事に就任して以来「治療の時代から予防の時代への転換が必要ではないか」と言ってきました。たとえば山間の森林は、降った雨を山に蓄えてジワジワと川に流していく役割をしています。しかし、中山間地域の人もどんどん減り、そうした森林の機能が衰えていっています。その結果、しばらく雨が降らないと、もう山にたまっている水がないので一遍に水枯れが起きる。それを後で治療しようとしたら、海水の淡水化というプロジェクトに莫大な"治療費"を払わなければいけないことになります。一方、ドカッと雨が降ると、山に蓄えられずに一遍に川に流れ込むから、下流の大都市部で予想を超えるような被害が起きる。それを"治療代"として支払うとなると、例の長良川の河口堰なり吉野川の可動堰なりの問題が出てくる。こういう構図になっているのではないかと思います。
 ということからいえば、このままほうっておけば必ずかかる治療代を、現在の予防注射、予防薬として山林の保全に充てていく。そういう形で、これも公共事業だと言ってしまえばそれまでですが、従来型の公共事業と環境保全の公共事業を区別してシフトしていくことも、地域を考える上で必要なことではないかと思います。何十年という長いスパンで考えれば、決して社会投資として不合理なことではないのではないかと思います。
 このように現在を静止画で切って議論するのではなくて、過去からいままで、また、これから将来、そういう時間的な流れのなかで大都市と地方との関係をどうつくっていくか。そういうような議論がもう少しなされ、それが政策として展開されていけば、都市型政党という狭い枠のイメージで民主党が終わることはないのではないかと思いますし、そういうことがこれからの日本全体にとっても必要な課題ではないかと思います。
 もう1つ、副代表のお話のなかにありました連邦分権型国家、これについてだけ申し上げておくと、私は非常に勉強不足で、民主党が連邦分権型国家というのを公約の第1の柱に挙げられていることを知りませんでした。この1カ月近くの間、近畿圏を中心とする地方議員の方々と2度ほど懇談をする機会がありました。民主党系の方々も多数おられましたが、その会で2回とも「連邦制についてどう思うか」というご質問を受けたので、なぜいまどき、と言っては失礼ですが、いま連邦制の議論がそんなに出るのかなと思いました。よく聞きましたら、民主党が公約として掲げられたということでしたので、ああ、そうかと思いました。
 そのときご質問をいたただいた方にも僕は、連邦制はたしかに将来必要なのかもしれない、しかし、地方議員の方々が連邦制、連邦制と言われたら、住民の方々はもう何が何だかわかりませんよ、もうちょっと身近な身の周りの問題から考えて、それをもし連邦制につながるのならばつなげていくような発想がないと、なかなか住民の思いとはうまくかみ合わないのではないですか、と申し上げました。
 もし地方分権ということを議論されるのであれば、各ブロック、私のいるところならば四国、浅野さんのいるところならば東北というような地域ブロックで、地方分権になれば何ができるか、それをまずやってみよう、というようなことをそれぞれの地方議員の方々が話し合う。そういうプロジェクトづくりをしてみる。それを地域の方々にも見せていくことも必要ではないかと思うのです。
 一例を挙げれば、「エックスウェイ」という形でようやくこの3月に四国の県庁所在地すべてが高速道路で十字形に結ばれました。これによって4つの都市が2時間〜2時間半で動けることになったし、その近くにはそれぞれ空港がございます。このうち香川と松山の空港は既に滑走路2500メートルで国際化をされているし、高知の空港も滑走路2500メートルに延長の工事がいま進んでおります。つまり四国に3つの国際空港がやがてできるわけですが、1つずつの県ということで考えますと、「まず韓国との路線を結ぼう」ということから始まっていきます。もちろん韓国との路線がいけないというわけではありません。しかし、四国のブロックということで考え、それぞれの地域が2時間〜2時間半で動けることを考えれば、3つの国際空港が同じところと結んでいくのではなく、「私のところは韓国,中国、香港」「私のところは台湾、グアム、フィリピン」「私のところは……」というように分けていけば、つまり四国のなかに3本の滑走路がある、そういう空港があるという位置づけで考えていければ、もっと有効な活用方法があるのではないか。ビジネスベースに乗るかどうかはわかりません。しかし、そういう発想は必要だと思いますし、そういう具体例を幾つか出していくことによって、連邦制というものがより住民の方々にわかりやすくなるのではないか。また地方議員の方々にとっても、自分の自治体のことだけを考えるのではなく、その枠を超えて県全体のこと、また自分のいるブロック全体のことを考えるきっかけになるのではないか。
 そういう積み重ねがあって連邦制というものが出てこないと、いま副代表がおっしゃったように、議員の皆様方には受けの悪い政策になってしまうのではないかということを感じました。
地域が主体になって分権を進めていく上で何がネックかということは、後ほどお話をさせていただきたいと思います。
○浅野史郎・宮城県知事 宮城県の浅野でございます。宮城県はこの前の衆議院議員選挙は6区あるうち4つが民主党、しかも仙台市は2つの区はどちらも民主党。仙台が大都市なんだということを証明したような選挙になってしまったわけです。うれしいんだかなんだかわかりませんが(笑)。
 私ども毎週1回記者会見をやっていますが、「なんでこんなのに行くんですか」と言われました。そのことを聞いた記者も会場に顔が見えていますが。私、呼ばれたから来たんですと。しかも敬愛する橋本知事が来られる。まあ、さっきのお返しですけど(笑)。
○橋本 お互い責任を転嫁しています(笑)。
○浅野 いや、責任転嫁ではなくて、私は友情です。ぜひ行きたいと。しかも、大事な地方分権という話をする、こんないい機会はないということで喜んで来たわけです。
 本当にたまたま、ここに来るまで別なところで、なんと「福祉が国を変える」、そんな表題で1時間話をしてきて、そこから時間もお金もないので地下鉄で移動してきて、まだちょっと汗が引かないのですが、そういう偶然もありました。
 またコーディネーターの横路さんは、15年前に私が北海道で福祉課長をやっているときの上司でございます。当時は雲の上の存在で、一介の課長と知事というのはああ、こんなに違うんだなと。いま逆に感じているんですが(笑)、元上司のもとでいまパネリストをやらされています。
 それから総合司会の円より子さんは、私は厚生省に23年7カ月いて、社会局生活課長というポストをやったんです。これはいろんなことをやるのですが、そのなかの1つに婦人保護という仕事がありました。これは売春防止法に基づく仕事ですからそう生やさしい仕事ではないのですが、若干関連があって、円さんは「ニコニコ離婚講座」「ハンド・イン・ハンドの会」とかやっておられて、あ、これはおもしろいというふうに一緒に仕事をしていました。まさか2人がこういう境遇になるとは当時はまったく思いもよらなかったんですが、数奇な運命でいまこの同じ場所にいる、というわけであります。
 「地方分権」というのは私は美しい言葉だというふうに言っています。会場にいらっしゃる皆さん一人一人に「地方分権、賛成ですか反対ですか、進めるべきですか」と聞かれたら、この会場にいる方はたぶん全員「そりゃあ当然、地方分権は進めるべきですよ」と言います。それは党を問わずかもしれません。街を歩いている人に「どうですか」と聞けば、「地方分権、いいんじゃないですか」と言うのですが、さらに突っ込んで聞いて「どうしていいんですか」。「どうしていいんですかねえ……。みんながいいって言うからじゃないでしようか」。「地方分権であなたは腹いっぱいになるんですか」「いやぁ、関係ないと思いますけどねえ」。
 今年の4月から始まった介護保険のほうは違った答えが返ってきます。これは悪いと言う人もいますよ。でも、ちゃんとした答えが返ってきます。地方分権は、何だか知らないけれども聞かれたらともかく賛成と言わなくちゃいかんという強迫観念があって、「ああ、いいことだ、いいことだ」。「どうして?」「帰ってからきょう一晩考えます」となってしまうというのは、ちょっと危ういものです。
 きょうは両県知事が来ていますが、これは知事のためにやっているのだろう、霞ヶ関に行ってあれください、これくださいと頼まなくていいように、頭を下げなくていいように、県のほうに国から権限・財源を持ってくる、そういう綱引き合戦をやっているのじゃないか。赤勝て、白勝て。いま地方のほうが50センチ引っ張りつつある、また揺り戻しがあるかな。こんなのだれが興味ありますか。地方分権がいいんだ、いいんだと言いながら、中身がないというか、非常に危ういということに私は危うさを感じています。
 そこで気がついたことを最初に幾つか申し上げたいと思うのですが、5月からだったか「毎日新聞」で私は新聞時評というのをやらされました。1カ月に1回、毎日新聞を読んでそれについての感想を書くページをもらって読まされました。そうやって読んでいくと結構おもしろい記事があるもので、総選挙前に四国・徳島での選挙エピソードがありました。農水省の構造改善局の次長をやられた方が徳島1区から出る。公共事業ということで票もお金も集めている。候補になったその方の売り言葉が「公共事業はオレに任せろ。徳島にボーンと持ってくるぜ」。
 同じころの紙面に農水省の汚職事件の報道がありました。キャリアの事務官といわゆるノンキャリアの人が、補助金の分配をめぐってお金をもらった。汚職で逮捕された。それを農水省全体としてもきわめて深刻に受けとめ反省をし、事務次官は補助金のやり方を変えます。つまり、いままではいろいろな裁量が入った、それがこういう事件を生んだということで、裁量が入らないように客観化してちゃんとできるようにします、と言いました。
 いまの記事と前の記事を比べると完全に矛盾があるわけです。客観化して裁量の余地が入らなかったら、どうして徳島1区の農水省出身の候補者は「オレが公共事業ドンと持ってくるぜ」と言えるのだろか。そういうことをやらせないようにするというのが補助金の客観化だ。これが1つありました。
 選挙ということに関していえば、分権ということからいうといかがなものかという発言がまかり通っていたわけです。「分権、どうですか」と、今度の衆議院議員選挙に出た人、勝った人、負けた人に聞けば、みんな賛成だと言う。その人が「オレはパイプだ。オレはすごいぞ。オレは霞ヶ関から地元にお金を持ってくるんだ。だからオレに投票しろ。この選挙区民はみんな悲しい思いをしている。不安な思いをしている。なぜか。与党議員がいない」。つまりそこは民主党議員だ、ということなんです(笑)。「私はそれまで野党だったところから与党になって、やってあげる」、彼の売りは与党で、地方にいい目を見させてあげるパイプとして私をお使いください、それが私の存在意義です、ということを、まあ私からいえば臆面もなく言っている。その方は落ちたわけですが。逆にその方にとっては地方分遣されると働きがいがなくなるわけでして、本音をいえば地方分権反対。「どうなんですか」とグッと迫ったら、反対ということではないのかと思います。
 私自身の3年前の選挙、これは民主党に推薦はお断りしたのですが、ご支援をいただきましてありがとうございました。そのときもアンチ浅野キャンペーンで「浅野は時の大与党の推薦を断って、敵対をしておる。それで宮城県は幸せになるのでしょうか」。純朴な選挙民に私は聞かれました、「公共事業が来なくなるのじゃないでしょうか」。そうだ、そうだ、というキャンペーンを張られました。「浅野では宮城県に公共事業が来なくなる」。こんなふうに、地方分権が流れだと言いながら、そうであっては実態上困るということが平気で言われている。
 民主党にも一言言いたいことがあるんです。公共事業に関して選挙に入ってからキャンペーンがありました。「公共事業をいいかげんにしろ、見直し」と。そうすると返す刀で「公共事業は何でも悪いのか」と言うと、また返す刀で民主党は「いや、いい公共事業と悪い公共事業がある」という論理を展開するわけです。必要な公共事業と必要でない公共事業がある。亀井静香さんもやはり「必要な公共事業と必要でない公共事業がある」と同じことを言っているわけですが、必要な公共事業と必要でない公共事業がある、それは論理でも理屈でも主張でもありません。そんなことはだれでもわかるわけです。
 ポイントは、その必要性をだれが判断するのか。私は、それは地方が、その地域が判断すべきだと思います。もちろんそうでないようなもっと大きな国家的プロジェクトもありますが、多くの事業について、その見直しというよりも、そもそもやるかやらないか、優先度合いというのをその地方に判断させることが重要なのであって、「必要な公共事業もそうでないのもあります」というのは、これは論理にも何にもなり得ない。本当はそこで民主党には分権の論議を返す刀でやってもらいたかった。「だれが決めるのですか」ということです。
 分権、分権というが、大きくいえば2つ目的があると思います。つまり単に綱引き合戦で地方が少し威張れるようにとかいうことではなくて、1つは自立です。自分の頭で考え、自分の足で動くようにしたい。そうでなければ日本の国の未来はないと私は思っているわけです。「お任せ民主主義」というように、お金も権限も知恵も、その地域がどうしようかという方向性もひょっとしたら含めて、「お国で決めてもらいましょう」と言う地域に未来はない。その地域を全部足し合わせたのが国の強さですから、地域の自立というのは実は国との敵対ではなくて、同じ方向を向いているわけです。
 その際にすぐつけ加えて言わなくてはならないのは、われわれは本当に自立したいのかというときに、中央集権の論理に実はどっぷりつかっている。それは「公平」という論理なのです。私も国の役人をしていて、いろんなご要望があったときに、役人のしつけとしては「要望・陳情があったら浅野君、まず『できない』と言え」と言われているわけです。内容を見る前に、「それはできません。難しいです」と言ってから、急いで理屈を考えろ、これをできるだけ早く多く言った者が優秀な役人になると。
 ウソですよ、これは(笑)。ウソですけれども、そんなメッセージを感じつつありました。
 そのときに、「ノー」という理屈で常に毎回ベストテンのトップになるのは公平性ということです。「あんたのところだけやると公平でなくなるからね」ということなんです。「足らざるを憂うるにあらずして等しからざるを憂うる」というのは国民の側にもあります。特に日本国民はどこに住んでいてもいろいろな意味で公平でなければならない。一番怒るのは、「隣の町ではああなのに、なんでうちの町ではこうなのか」と、公平、一律、平均、平等、そういうことが当たり前だと思っている。地方分権というのは実はそれに反することなんです。地方分権というのは、その論理のしからしむるところ当然ながら格差ということを内包しているわけです。格差が生じます。
 既に出ている1つの例が介護保険です。介護保険は国の制度ではない。国が枠組みをつくったけれども、実際に運用しているのは3252の市区町村です。保険料もそれぞれの市区町村が条例で決めます。わが宮城県、71市町村ありますが、まだ介護保険の保険料は1号被保険者はだれ一人取られていません。亀井静香さんが「払わなくてもいい」と言ったおかげで。来月から初めて取られるようになる。しかも半額です。宮城県の71市町村の平均が2792円なのです。3000円から1000円台の格差はありますが。
 秋田県の鷹巣町は3880円です。べらぼうに高い。これは実は住民が選び取ったのです。介護保険が導入される前に相当高い水準の介護サービスを既に実現していた。これを介護保険が導入されても下げたくないという住民が自分で選んで、サービスをしっかりと確保する。そのためには高い保険料も受けましょうと。まさにこれはある意味では民主主義が通った。
 もう1つは、介護保険は保険料ですけれども、地方分権でもう1つ大事なことはタックス・ペイヤーということです。2つあると言ったうちの1つ目から2つ目に自然に移行してきましたが、2番目はタックス・ペイヤーとか、キーワードでいうとフィスカル・イリュージョン、財政錯覚、財政幻想、この問題を解決するためにはやはり分権しかない。つまりタックス・ペイヤーという観点を入れるためには分権でなければならない。たとえば、われわれ宮城県を地方公共団体と呼びます。地方自治体とも呼びます。これはタックス・ペイヤーという観点からいうと、きっちりこない。むしろローカル・ガバメントと呼ぶべきだという感じがします。宮城県も高知県もローカル・ガバメントです。市町村も1つ1つローカル・ガバメントです。ローカル・ガバメントだとすれば、そのガバメントがビッグ・ガバメントになるべきか、スモール・ガバメントでいいのかというのは、当然タックス・ペイヤーが選ぶべきものです。選ぶ「べき」というのは、義務と可能です。いまどちらもできません。税制で「うちの自治体は税が高くてもいいから、サービスはしっかりやってほしい」、逆に「サービスは削ってもいいから税金は下げてください」というのは、いま現実問題として通りません。
 そういうなかでいかにタックス・ペイヤーが、そこのローカル・ガバメントでなされていることに関心を持ち得るかというのは、住民の意識の問題ではなくて、いまのシステムというのがタックス・ペイヤーがタックス・ペイヤーたるゆえんを発揮し得ないということになっている。これは国を危うくするのではないかということをちょっとだけ申し上げて、15分になりましたので終わらせていただきます。
○横路 お2人から幾つかの問題点が提起されまして、どれを中心に議論していいかなと迷うところなのですが、1つは公共事業の話が出ました。橋本さんから「中山間地域が非常に荒れていて、そのために森林のさまざま持っている機能が喪失しているから、むしろそういうところに公共事業をしっかり配分することのほうが意味があるんだ」というお話がございました。浅野さんからも「地域で決定できるようにすべきだ」というお話があった。地方分権推進委員会のほうでも、少し公共事業を地域へということで統合補助金のような制度ができました。本当に地域から必要な公共事業という配分を要求することができるのかどうか。たてまえとしては公共事業の補助金の部分というのは地域の積み上げになっています。実際はシェア配分によっておりてくると思いますが。
 そこで1つ、地域からの配分を変えるということが実際問題いまの状況のなかでは難しいと思いますが、そういう点で何かぶつかった問題があるのかどうかということと、中山間地域の問題が出ましたが、この中山間地域をこれからどうしていくのか。地域の経済の問題にちょっと触れていただければと思います。
○橋本 誤解がないように言っておかなければいけないのは、私は都市部の公共事業を地方に振り分けろと申し上げているわけではないのです。「公共事業」という言葉の定義が何かということを議論しないと、さっきのいい公共事業・悪い公共事業の議論と同じことになってしまうのですが。私はいま公共事業の見直しということで言われているのは、どちらかというと鉄・コンクリートでつくるものを指しているのじゃないかと思います。やはり森林の保全というような環境に視点を置いた事業を公共的な事業として考えていくようなシフトは、先ほど言った治療費ということを将来考えれば、予防費として必要な考え方ではないか、そういうことが中山間地域の問題にもつながっていくのではないですかという趣旨で申し上げました。
 公共事業は大都市部の大きな事業と中山間の小規模な事業とで見方が変わるのですが、いま公共事業を削減しようと。実際量的にも削減せざるを得ない状況になっていますし、将来的には必要性云々の議論のなかでも当然見直しが進むと思います。しかし、そうなりますと本県は53の市町村があって、29の市町村で建設業が経済指標でトップでございます。そういうなかで公共事業が削られれば地域が維持できなくなるのではないかという議論があります。これも、いまの時点で静止画で切って取ればそういうことになっていくだろう。それを少しでも持続をさせよう、モルヒネ注射を打とうということになれば、当然、量は減っても、ばらまきをしていくということしかないわけです。
 しかし、そもそも中山間地域の疲弊というか、農林業の衰退というのがどこに原因があったかというと、いま海外からの輸入、その競争力に負けたということが言われます。これも一面の事実ですが、そのことが起きる前に公共事業が全国的に肥大化をし、その公共事業によって日銭が入る。非常にキャッシュフローのいい産業で、契約ができた時点で40%のお金が支払われる。農林業のように手間暇かけ、時間をかけて、売った後しばらくしてから農協などの通帳にお金が振り込まれるという生きざまとはまったく違った生活になります。そのことがどんどん農林業から公共事業へと人がシフトしていった原因ではないか。それが農林業を弱めて、そこに海外からの輸入というのが入って、一遍にいま突き崩れてきているという流れがあるのではないかということを考えてみますと、はたしてそういうことをして何が起きるかはわかりませんが、いま厳しいから何らかの形で名前を変えて公共事業を中山間でも残していくということよりも、それぞれどこかそのことをやってみようという自治体の長が、クビを覚悟でやらなければいけませんが、「いま型」の公共事業はもう減らしてしまう。そのなかで農林業なりなんなりにどういう動きが起きるか見てみる。そういう実験、というとその地域に住んでいる方には失礼ですが、モデル的なことをやってみないと、いまの公共事業が減ると地域が云々という議論は先が見えないのではないかという気がします。
○横路 公共事業は全体で事業費で50兆円近いお金が使われているわけです。浅野さんがここに来られる前に「福祉が国を変える」というテーマでお話しされたということなのですが、地域のなかで公共事業が持っているウェートはたしかに過疎地域ほど高いと思うのですが、ここと、福祉を充実する、つまりお金の使い方なのですが、使い方を公共事業から福祉へ変えていくということでかなり地域の経済にも大きなプラスの面というか、変化が生まれてくるだろうと思うんです。浅野さん、「福祉が国を変える」というところで公共事業の話をしていただければと思いますが。
○浅野 きょうのテーマの地方分権ということにあくまで離れずに申し上げたいと思います。地方分権という文脈から考えたときの、今度は公共事業の実際面でのやり方の問題点が2つあります。1つはちょっと抽象的に聞こえるかもしれない、1つはちょっと技術的に聞こえるかもしれないのですが。
 1つは、縦割りの弊害ということです。先ほど優先順位、必要性の判断ということを言いました。それは結局公共事業とわれわれ言っていますが、地方の目から見れば、それは建設省の公共事業か、運輸省の公共事業かということなのです。ところが、そうでもないのです。建設省の公共事業というのはありません。建設省河川局の公共事業と、建設省道路局の河川事業なのです。それもありません。河川局のなかでも砂防関係の公共事業なのか、河川改修の公共事業なのか、これはみんな違うのです。実は課単位ではなくて係単位でみんな違ってきます。
 そして「優先順位」というキーワードをもらったときに、霞ヶ関ですぐ気がつくのは、いま国内にダムの計画が幾つかあるというなかで、そこから見て優先順位というのは1番から何番までつけられるわけです。ある意味ではそれは判断します。では高速道路をつくる。これもいっぱいありますが、いろんな意味から優先順位をオールジャパンでつけていく。これは道路局でできると思います。
 ただ、知事に優先順位をつけろと与えられたときは、そういう頭はありません。道路か河川か港か福祉施設か圃場整備か、いろんな事業があるなかでいまの宮城県でどれが優先されるべきなのか、という頭でいくわけです。これは「横割り」というのか何というのかわかりませんが、縦割りの発想はないわけです。そのときに縦割りで来ると、国が直轄でやる直轄事業というのがあるが、これは優先順位の判断権は地方にはまったくありません。やれることといったら陳情するしかない。宮城県に気仙沼がありますが、気仙沼・三陸縦貫道をつくってほしい。これは年来の悲願ですが、これは「つくってほしい」と頼むしかありません。
 補助事業は県の事業ですから、それに補助金をつけてくれ。これはまた別な動きがあって、いらなければ県の補助事業を起こさなければいいだけです。しかし、それにしても直轄事業は県の入る余地がありません。
 そういうなかで横並びの優先順位をどうやってつけるのかというのは、さっき、公共事業のなかにも必要な事業と必要でない事業があるということがむなしいと言ったのは、「だれが決めるのか」、ここにあるわけです。
 もう1つは、特に補助事業というものです。公共事業でこれをやると国の補助が2分の1つきますというと、1つには「もらわなければ損症候群」が職員にあらわれます。同じ事業をやるにしても、そちらの間尺に合ったようにやれ、補助金がもらえる、だったらそういうふうにやろうと。それから「これは県として優先順位は高くないけれども、補助がつきそうだ。じゃあやろうか」という判断になってしまう。優先順位の判断はゆがめられる。本当はやりたくないけれども、いまつき合っておかないと後で怖いぞというのは実はあるんです。後で怖いぞというのと、後でいいぞというのが。これは本当に優先順位をゆがめられます。
 また、少し技術的になりますけれども、「3省協定単価」というのがあります。公共事業の3省、建設省、運輸省、農水省で、ある事業をやるときにいま人夫さんの労賃1日いくらとか、同じ材料を使ったらこの材料費はいくらという単価が決まっています。これは1省ごとに決まっているのではなくて、3省で共通単価なんです。何とかわれわれも補助事業でそのコストを下げられないかというふうに思っているんですが、補助をもらっている限りは、その単価を使わなくてはいけない。入札して下がればそれはそれでいいとは言えますけれども、しかし予定価格をつくるときの単価はそれを使わなくちゃいけない。そういうのはもう考え直すべきではないか。大枠から攻めていくのと、実際にやられているやられ方のところから攻めていくのと両々あって、これはしっかりやっていかないとまたこの国は危うい、と言うとそれだけで済んでしまいますけれども、そんなふうな感じがします。
 横路さんから振られたのは、福祉に少しふやすという判断はあってもいいじゃないか。それはあってもいいし知事としてもできます。もちろんこれは政治的なインパクトがあってのことですけれども、できます。しかし、それを完全な形でやりにくくしているメカニズムがやはり残っている。これはそうでないほうが自由にというよりも、健全な判断ができるんではないか。それはタックス・ペイヤーにとってもいいのではないか、というぐらいは言えると思います。
○横路 連邦分権国家ということで橋本さんからもお話があったんですが、都道府県47ある。しかし、四国ブロックということでようやくブロック内の交通体系は少しずつ整備されてきたと。いままではすべて東京で発想していますから、東京に行く交通体系は便利だけれども、圏域のなかの交通アクセスはきわめて不十分になっている。
 それと、たとえば水の問題など四国であります。水の問題の大きいネックになっているのは、1つは水利権だと思うんです。水利権はいろいろ歴史がありますが、農業用とか工業用とかいろいろついている。これがあるから、ダムをつくって水を確保しなければ、水をもらうことができないということになっています。たとえば四国ブロックで交通アクセスができた。今度は水の問題などを統一して対応しようということで、水利権は四国ブロックが持つようなことに変わっていけば、つまり権限や財源が地方に移るということですが、そうするとかなり水の問題などの解決もできるのじゃないだろうかと思うんです。
○橋本 しかし、それはなかなか難しい問題だと思います。横路さんのおられた北海道のように1道が1つのブロックになっているところは別ですけれども、水というのは非常に歴史を背負っている政治課題ですので、いくら4県がブロックとして一緒になったとしても、水利権の問題はきっと最後まで残っていく一番複雑な問題だと思います。理想としては当然必要なことです。水利権の見直し、また権限移譲は必要な課題だと思いますけれども、いまはむしろ国がやっているから、その地域からのいろんな突き上げに、「国だから」と言って逃げられる面もあるのが水利権ではないかと思います。ですから最後には解決しなければいけない課題でしょうけれども、これを最初に手がけるとにっちもさっちもいかなくなるのではないかというのが僕の印象です。
○横路 先ほどの身近なところから発想して市民の皆さんにわかってもらえるようにというときに、ダムなども結局水利権絡みで、農業用の水利権がついていると工業用にその水を使えないから、その部分をダムをつくって確保する。それがもうダムがあちこちにできる一番大きな要素になっている。非常に難しいとは思いますが、連邦分権国家といった場合にはそんな問題もあるかなと思ってお話をお伺いしておりました。
○橋本 いや、イメージとしてはよくわかりますが、私はそういう発想から入られるところが、なかなか住民に理解しにくいことにつながるんではないかと思うんです。水利権のことは、私たち行政にかかわる者には非常に重要な課題ですけれども、住民の皆さん方からはなかなか見えにくい課題だということを僕は思うんです。
 先ほど空港の例を挙げましたけれども、もっと小さな例でいえば、各県に盲聾唖の養護学校があります。これもどんどん人の数は減ってきている。そういうときにたとえば四国4県の盲学校が同じようなシステムで動いていいいのかな。4県どこでも行けるようにして、あるところはこういうことに重点化をし、あるところはこういうことに重点化をしていく。そういうソフト面でもっともっと乗り入れていくことを具体的に提案をして、それを実現して、民主党の1つの施策の効果として皆さんに見てもらうということのほうがわかりやすくて、それが最後に何年後かに水利権に結びついていくのではないかという気が私はいたします。
○横路 東北ではどうですか。東北のなかの交通アクセスとか、ブロックとしての動きは。
○浅野 いまの議論のなかで元上司の横路さんを擁護したいというか、いわば各論から入るということですね。水利権の問題とか交通ブロックというのは1つの例ですが。そうやって受けさせていただきますと、その意味で、道州制を出したということは私の趣味には合わないという部分を申し上げます。あ、横路さんを立てたことになんねえな、これ(笑)。
 私も声高に分権、分権と言っていますけれども、だんだんむなしくなってきているわけです。なんか虚空に向かって叫んでいるだけという感じがしたり、突然そこで「やっぱり道州制だ」というのがあったりして、どうかな……。ただ、地方分権が進んでいくイメージを考えたときに、ある日突然霞ヶ関から権限とか財源が風呂敷包み1つにまとまって「はい、どうぞ」、こういうイメージはまったく持てない。
 いま私は補助金のことをちょっと問題にしています。役割が大体歴史的に終わった補助金というのがあるわけです。すぐ頭に浮かぶ幾つかがあります。いまになってみると有害無益であって、手間暇だけかかる。そんな事業はもうどこの県でもそのやり方がわからないなんというのはないですよと。たとえば老人福祉施設に対する補助金とかはどこの県でも65歳以上の人口何人当たりいくらと需要は出てくるから、それは一般財源化すればいい。何も個別の補助金として持っていることはない。そういうことを知事仲間で何本か本気になって議論をして、出し合って、それを論争しながら、1つ1つおろしていくということを地道に続けるべきではないか。実はこれはある別の知事と話がありました。「いや、浅野さん、それはちょっとどうかな。それをやると補助金のジャングルのなかに入り込んでしまって、わけがわからなくなる」という話もありましたが、私は筋道としては、突然憲法論議をして地方自治法をガラッと改正して財源がボンと来るというイメージは本当に持ちにくいので、そうやって各論から攻めていって、この補助金はもう整理して一般財源化していこう、自前の財源に振りかえようということを何本かやっていって、それが50本ぐらいできたところで、「あ、これはいい」、そこでドッと流れが変わるのではないかというイメージ、これは持てるんです。
 いまおっしゃった各論という意味で、たとえば道州制を最初から打ち出すのではなくて、道州ブロックのところで「こうやってやったらうまくいくのではないか」ということを実際に進めていくなかで、実績も1つ2つちゃんと持ちつつ、「これでうまくいくんだったら、道州制にしたらもっとうまくいくんじゃないだろうか」ということを住民も国も、そして県も、プレイヤーがみんな実感をするということではないかなというふうには思います。
○横路 補助金の話が出ましたのでそっちに話を移していきたいと思うんです。ことしの予算85兆円のうち補助金は21〜22兆円ぐらい。そのうちの8割が地方自治体への補助金です。前に地方6団体で補助金についての108の事例集を出して、こういうのを変えてほしいと。いま浅野さんから話のあったようなケースがたくさんあったんですが、なかなかまだ変わっていないですよね。たとえば車いすなどについて補助金の交付をするケースがあるんですが、要件が決まっていて、その車いすが要件どおりだと国と協議する必要はないが、決まっている要項にプラスアルファでいろんなものがついていると、厚生大臣と協議しないとだめだというので、市町村から都道府県を経由して厚生大臣のところで協議を受けて、半年ぐらいかかるんです。そんなのもう任せたらどうかといっても、依然として残っているようです。さっき補助金のところで、公平ということ、全国あまねくどこの町村にもこれやりますようというので補助金の要項が決まって、交付するわけです。この補助金の申請業務と受けるほうの業務というのは非常に大きなウエートを占めているから、これがなくなれば中央・地方を含めて相当行政改革にもなっていくと思うんです。先ほど「もうこれからは公平というよりも、それぞれの地域で住民が選択をして政策選択する時代だ」というお話がありましたが、補助金についてたしかに1つずつ洗い直しをして、みんなでものを言って変えていくことも大変大事だと思うんですが、橋本さん、どうですか。
○橋本 最近、浅野さんのようなタイプの方が知事でもふえてまいりましたので、全国知事会も自治省の言いなりでシャンシャンでやるという会ではなくなって、かなり活発な議論がなされるようになりました。浅野さんだけのせいじゃありませんけどね(笑)。この間、それは浅野さんが率先しておっしゃったことですけれども、従来全国知事会でもいろんな政府要望を出しているわけです。一方では税財源の移譲ということを言いながら、一方では補助金をもっと寄こせ的な要望をするのはやや自己矛盾ではないか、ということを浅野さん自身おっしゃって、そういう体質をぜひ変えていこうという意見が出ました。多くの人は賛成だと思いますし、そういう流れが全国知事会のなかでも出ていくだろうと思いますので、これは個別の知事でやるよりは、全国知事会でそういうことができれば一番いいなということを思っています。
 あわせて補助金ということでいうと、いま横路さんが言われたような国と地方との関係のなかでの補助金の問題が、各県のなかでも県と市町村の間にあるのではないか。国に対して統合型の補助金、細かい要項をつけたり協議をしなければいけないというようなものをやめろということを求めるのであれば、逆に、市町村に対してやっていることをもう一度見直してみることが必要ではないかということを考えました。2年ほど前から市町村振興の補助金は市町村活性化総合補助金というふうな名前で、細かいメニューを設けずに、各市町村でこれは何のためにするか、その成果は何で、その可能性はどうかというふうなことをヒアリングをさせていただいて、あとはもうお任せをしていく形に改めました。あわせて農業とか森林行政、水産、地域の環境美化、商店街振興などの分野も、すべてではないが、一部を補助金の統合化をいたしました。
 その意味合いは、当然これからは市町村が主体になっていかれるわけです。それは行政だけではなくて、地域の方も含めて、皆さん方に自分の地域のことは自分で考えていただく。浅野さんが言われたように、公平の原則でただ横並びでやるのではなくて、自分のところの特徴はどうかということをそれぞれ考える、そういうきっかけを持っていただく。また考える力、企画力を養っていただくことが一面ございます。
 その一方、もう1つのねらいというか、これから目指すべき方向としてあるのは、これも横路さんが言われた行政改革ということであろうと思うんです。県の職員も非常に忙しく仕事をしています。その忙しさの内容を見てみますと、国との関係でのいろんな問題もございますが、市町村に対して補助金の細かいメニューをつくっているために、その申請を受け、協議をし、それをまたチェックをして差し戻したり、さらに国との間の関係も保ち、また後で会計検査院にということをやっている。その書類の仕事、机の上の仕事でもう膨大な時間を使っています。これから分権ということが進んで市町村が主体になって仕事をしていく。そのときに国と市町村のいわば中二階的な存在である県というものが、わが県でいえば6000人ぐらいの職員がいるわけですが、その人たちがそういう机の上で膨大な書類づくりをしている、そのことにまた莫大な人件費が投資をされていくということを、いつまで県民が許してくれるかなという目で私たちの仕事を見つめ直さなければいけない。
 そのためには、さまざまな国との間の事務もそうですし、市町村との間の事務も整理していって、もっと仕事を減らす。それで人減らしをするというのではなくて、その人がもっと地域に出ていって、地域で一緒になってさまざまな企画をし仕事をしていくというような体制に変わっていかなければいけないんじゃないか。県のあり方そのものが、いまのように県庁というところに何千人がいるのではなくて、地域に出払っていって一緒に地域を動かしていくような県庁に変わらなければいけないのではないか。そのためにも補助金の見直しは必要なんじゃないかなということを思っています。そのことは同じように国と地方との関係のなかでも言えることではないかと思います。
○横路 補助金と許認可というのはある意味でいうと受け身なわけです。補助金は申請を受けてからやる仕事になりますし、許認可もそうだ。だから、自分たちの頭で考える時間はどうしても少なくなって受け身の仕事にならざるを得ないのがこの補助金制度と許認可だろうと思うんです。個別の補助金はかなりそこに政治が介入したりするし、中央省庁のコントロール下にも置かれますので、個別の補助金をやめて、できるだけ一括した交付金のような制度にしていくとか、財源を初めから渡してしまうことが必要なんだろうと思うんです。
 この補助金について、浅野さんはどうですか。
○浅野 私は23年7カ月厚生省で仕事をしていましたが、そのなかで福祉関係の課長のポストを2つやったんです。福祉関係の課長のポストを2つやって気がつくのは、自分の課に20人ぐらい職員がいましたけれども、そのうち8割はいわゆる予算事務官、補助金分配業をやっているわけです。その補助金のもとになる予算を大蔵省から持ってくるというのも含めて。それを要求して持ってきて、もらったのを今度は47都道府県に分配をする。分配をして仕事をやらせたら、ちゃんと決算ももらってチェックをする。8割の職員がその仕事をして、その一人一人のほとんど100%はその仕事にいそしんでいる。ですから、補助金をやめろと言うことは、彼らにとっては失業ということがすぐピンとくるわけです。「これやめさせられたら、オレ、やる仕事なくなるんじゃないか」。これは笑い事ではなくて、大変大きなことなんです。自分たちのロールモデルというか、職員としての仕事、何に給料を払ってもらっているのかということを自分でモデルをつくることもできない体になっちゃったぐらいしみついているわけです。
 私は当時課長をやっていてぼんやり、ぼんやりですよ、「分権が進んで補助金がなくなったら、これ、どうするんだろう」と思ったんです。われわれ何で勝負をするかといったら、配る金があるからというのではもうなかなか勝負はできないんで、やはり情報でしょうと。もしわれわれが存在意義があるとすると、深い問題意識に根ざした情報というか指導力というか、そういうもので勝負しなければならない。なんとなく国が偉いというふうに思われているのは、金を持っているから偉いということになってはしませんか。ひょっとして高い見識とか深い情報ということではないということは、これは大変危ういわけです。
 補助金分配業も実はメリットはあって、私がやっているときに気がついたのは、補助金を分配しているという権限に対しては当然いろいろあります。各県がお土産を持ってきました。ほんの茶菓子みたいなものです。「うちの名物です、笹かまぼこです」。あ、笹かまぼこというとすぐバレてしまう(笑)。そこから「ああ、これおいしいですね」と会話も弾んでと、そういう効用もあるんですが。私はそれをひっかけて、「お土産はいらないから、お土産話を要求しなさい」と職員に言ったわけです。お土産話というのはつまり情報です。「あなたのところの地域でスターはいませんか。教えてください」「あなたのところで、ほかではやっていないようなすばらしい事業はありませんか。そういう地域はありませんか。教えてください」というお土産話を要求しなさい。
 最初要求された瞬間には、各県の課長も、ああ…、と戸惑うわけです。ただ心ある課長は、2回目には「うちにこんなスターがいました」ということでお土産話のほうを持ってきます。もちろんお土産も一緒に持ってきました、当時は。もらっていました、当時は、はい(笑)。
 補助金分配業というふうに規定をすることによって、国の役人に対してそれをやめろと言うことは本当は失業を意味するということなんですが、バカなことを言うんじゃない、逆に言うと、補助金を配って暮らせるだけヒマなんだということです。本当はヒマでないはずなんです。私はそのキーワードは「国際化」だと思うんです。国際化というなかに身を置いた霞ヶ関は、いまのような仕事はできないはずです。厚生省の仕事でもそうです。国際化から絶対免れないような役所もいっぱいあるわけです。そういうなかで補助金分配にうつつを抜かしているようなヒマはないはずなんだと。そちらにいそしんでいるがためにおろそかになっている仕事がある。これにちゃんと気がつかなくちゃいけない。
 民主党の皆さんにもお願いしたいんですが、そこのところは失業ということが頭に浮かばないように、ぜひ攻め口はしていただきたい。こんなことをやっていてはだめなんだというのではなくて、むしろ「こういう仕事をやりなさい」。問題提起としても国会での質問でも、地方に任せておけばいいようなことを質問されると、必ず本省から各課に電話がかかってくるんです。これどうなっているんだと。こっちも一緒になって大変なことですから、それは国のやることではない、国会のやることではないということで、国際化という文脈のなかで各省庁が一体どういうものを持っているのか、そういう高い見識を問うような質問をどんどん発していただきたい。そうすると忙しくて、補助金分配なんか、「これやるから」と向こうから頼んでくるんじゃないか。そのときにいやみで「そんなの、いらない。おまえらやれ」と言ったらおもしろいと思いながら(笑)。たぶん流れとしてはそういうものだと思うんです。
 それから県の仕事のやり方をちょっとだけつけ加えますと、たしかに県も同じようなことに毒されています。まさにロールモデルの問題で、予算分配が自分の仕事だというところからどうしても抜けきれない。宮城県で総合計画をつくったときに、新しい機軸として政策評価指標というのをつくりました。数値化して、たとえば「障害者の雇用率を4%にする」とか数値を入れてあるわけです。ところが、「知事、これ、できません」と言うんです。なんでかというと、「それは各企業の問題だ。役所がやったってできません」。そういう項目はいっぱいあるんです。自分たちが補助金なり予算を持たされて、それをてこにやれる仕事はなんとかできると彼らは言うわけです。そうでないものはできないと言う。これはまさに補助金分配業こそ自分の仕事ということの究極の姿である。本来県庁職員はコーディネーター役とかネットワーカー、問題意識提起とかそんなことをやるべきだというふうに思っています。県も予算はありませんけれども、予算の費目のなかで宮城県でも一番多いのは人件費です。結局その人を雇っているお金だ。ほかの事業費よりは人件費が一番多いわけです。その人たちが人件費分だけ、予算分配だけじゃないことで働いてもらえば、相当仕事ができるのではないか。これは天にツバしているような発言ですけれども、まあ決意表明ととってください(笑)。金がなかったら、人件費分だけ働いてもらえば、いままで以上に仕事はできるんじゃないかなと思うこともあります。
○横路 地方分権といいながら何か起きると中央省庁の権限をふやすようなことをやってきたのは、たしかに国会とマスコミと、両方にも大きな責任があると思います。何かあると「責任どうした」「規制はどうか」という話になりがちでございますので、いまの話、心してこれから議論していかなければと思います。
 結局、地方分権といっても、もちろんそれはローカル政府に頑張ってもらうことは当然なんですが、同時に、市民の果たす役割も大きいと思うんです。さっきタック・スペイヤーとしてのお話がございましたが、行政の受益者という感じがまだまだ強いと思うんです。それを変える大きな例が介護保険制度だと。これは市町村が中心になって保険料もサービスもみんな市町村で決めることになっているわけです。4月からスタートして、ずいぶんいろんな議論をして地域でやってきていますから、それだけいろんな意識というか、いまの高齢社会のなかで市民がどういう役割を果たしていかなければいけないかということを含めて、だいぶ議論は活発に行われてきたと思うんですが、橋本さん、介護保険に限らず、いわば受益者ではなくて、主体として市民の意識の改革も必要だろうと思うんですが、最近のNPOの活動などを含めて四国の状況はどうですか。
○橋本 一番最初にお話があった、地域は地域でつくっていくというなかでのネックは何か。ネックはいろいろあると思いますが、いまお話のあった住民の意識もその1つです。とともに私は最近実例で思ったことは、機関委任事務が自治事務に変わりました。しかし、自治事務に変わったにもかかわらず、個別法がまったく変わっていないために、地域の声、意思が反映されないという事例がございます。たとえば本県に中土佐という町があります。カツオの一本釣りなどで有名な町で、ここは自然環境を生かした地域づくりということでずっとやってきました。そこに今度採石場をつくりたいという申請が森林法と採石法に基づいて出てきました。漁協は賛成をされておりますけれども、漁協を除く町民の方は多くが反対を明らかにされておりますし、町からも町長から反対の意見書が出ました。また議会も10対5で反対が多数でございます。
 にもかかわらず、いまの森林法、採石法は3つか4つの項目がございまして、地域の人たちに危害を与えないとか、公共の施設に損傷を与えないとか、地域産業に特段の被害を与えないとかいうようなことを除けば、森林法の場合には「許可をしなければならない」、採石法の場合には、限られた項目のときには「許可をしてはいけない」と、表現は違いますけれども、ごく限定されたもので、要は企業を少しでも振興していこうという視点に貫かれております。
 しかし、これだけ地方分権ということが言われ、自治事務になった時代に、町長からはっきりとした反対の意見書が出、また多くの町民が反対の署名をしている事業に対して、公共の福祉という観点からー法律のなかには「公共の福祉」という言葉が入っていますけれども、そういう観点からもう一度その事業をどうするかということが議論できないのは、やはりおかし過ぎるのではないか。また公共事業でさえ見直しということが言われるなかで、公益性というものがどれだけあるかどうかわからない個別の企業の環境とのかかわりが、まったく個別法によって否定をされてしまうということはおかしいのではないか。このことは私、今度の総理との懇談会のときにも申し上げようと思いますが、民主党の皆さん方にもぜひ関心を持っていただきたい。自治事務になっても、個別法の問題で自治事務の趣旨が生かされないということはたぶん多数あると思います。そういうことを地方の議員の方から上げていただいたらいいのではないかということを思います。
 それから住民の意思ということですが、これも横路さんが言われましたように、住民の側にも、これまでの補助金行政になれて、それをもらったほうが楽だという意識があります。また公共サービスのことは行政に任せてしまおうといういわゆるお上意識があって、なかなかその差が埋まらない。行政の側も「私たちがプロだから任せろ」という逆にお上意識があって、その差が埋まらないのが現実だと思います。
 具体的な事業でいえば、わが県の場合には「県民参加の予算づくり事業」というのをこの2年間やっております。県内に県税事務所が5つございますので、その県税事務所での県税収入のわずか何パーセントかを原資にして、地域の住民の方々にそれを使った地域のためのソフト事業を企画をしていただき、予算づくりまでやっていただくという事業です。これは県の職員、公務員が考えるのとはまた違ったアイデアが出てくるのではないかという意味合いと同時に、住民の皆さん方にも行政に対してもっと参加意識を持っていただく。つまり公共サービスというのは行政に任せきりではなくて、自分たちも参加して一緒につくっていくものだということを意識として持っていただく、そういう機会になるのではないか。そういうことを長年続けていくなかで、住民の意識も「公共のことは県とパートナーシップで新しく一緒につくっていくのだ」、そういう関係に変わっていくのではないかということを期待しております。そういうことがこれからの大きな私たちとしてやっていかなければいけないことではないか。
 あわせて公共事業の見直しのかかわりでいえば、やはり住民参加をどう進めていくか。ワークショップのような方式で事業をしていく。それを要綱なり指針なりにどうまとめ込んでいくかということが、私は課題の1つだろうと思っています。
 環境アセスメントも、最初は「あんなことをしていたらとても金もかかるし時間もかかって事業など進まない」という意見が公共事業側から強く出ていたと思いますが、時代の変遷とともについに法律にまでなった。そういうことでいえば、住民参加によってやっていくという手法、もちろんその必要性・不必要性をだれがどう判断していくかという基準づくりも必要ですが、一方で住民が参加をして一緒につくっていく。その仕組みをどのように地域の要綱なり指針なりという形で組み立てていけるかということが、私は地方自治にとって大きな課題ではないかと思って、自治基本条例というものをつくろうと思ってやっています。県の職員だけでつくったのではいけないだろうと思って、いまもう一度住民の側に戻して、住民の発案でそういう自治の基本を考えるような、条例でなくても憲章のようなものがつくれればということを取り組んでいます。そういうこともこれからの大きな課題ではないかと思っています。
○浅野 去年のいまごろ、介護保険制度施行前夜ということで県内で介護保険の解説をやっていました。宮城県では知事がみずから解説に回ります。あるところで一生懸命説明をして「何か質問ありませんか」。「はいッ」、ちょうど65ぐらいのおばさんが手を挙げました。「ずっと介護保険料を払って、20年払い続けて、1回も介護を受けないでコロッと死んだら、損なんでないでしょうか」、こういう質問です。「だけどあなたが払った保険料が、この制度がなかったら介護地獄で家庭がつぶれてしまう、そういうお宅に行って、この人は助かるんですよ。だから、あなたは間違いなく極楽に行けると思います」(笑)。なんかわけのわからない答弁で、「はぁ、そんなもんですか」と、全然納得しないような顔だったんです。
 だけど、介護保険というのはそういうものなんです。これは税方式でやるか保険方式でやるかということがありましたが、私はいずれは税方式はかまわないと思いますが、発足時保険方式というのはむしろ問題意識をはっきりさせる。これは人ごとではない、自分ごとだということにとっては非常に教育的な効果、それからこの制度は何かということを考えさせたと思って、それは評価しています。
 だから、「保険料を払わなくていい」と言うのは罪深いんです。知事みずからがこうやって解説して歩いて、ああいうような質問まで受けて、払わなくていいと言ったら、私はウソつきじゃないですか。
 さっき秋田県の鷹巣町の話をしました。岩川徹さんが町長です。もう3期目ですかね。最初の選挙のときには、それまで20年以上町長をやったという盤石の方と対戦したんです。それに挑戦した岩川さんは、2万3000人の鷹巣の町をくまなく歩いて、何が困っている、何をいま望んでいるんだ。そうしたら一番多かったのは、老後の不安をなくしてくださいということだった。それを公約の第1に挙げて当選した。これで当選したからには、それをとにかくやることが自分の義務であるということで、24時間巡回型ホームヘルプサービスを日本で最初に始めた自治体でもあったわけです。それでさっきのような介護保険につながっていった。
 反対派の議長さんがいました。この辺のことをなんで私が詳しく知っているかというと、自由工房の『住民が選択した町の福祉』という映画の第2部に大変おもしろいのが出てくるので、ちょっと引用させてもらうんですが、これは分権ということと民主主義ということとタックス・ペイヤーということ、いろんなのが入ってくるんです。こんなのが出てきて反対派の議長さんはおさまらない。昔の町長派だったわけですから。いろんなところで意地悪というか、老人ホームを改築する。二十何億かかる。この予算案は否決です。老人保健施設を新しく建設すると出し直したけれども、それも否決したんですが、最終的に反対派が1人賛成に回って、その予算が成立したんです。そして老人保健施設「ケアタウンたかのす」ができました。私も1泊だけれどもショートステイしてきました。それが成立してしまったときに、悔し紛れの議長さんの言葉は大変おもしろかったんです。「住民は無責任だ。あれつくれ、これつくれと要求ばっかりしている。そういうのをちゃんとチェックするのが議会の役割だ。だからオレはやったんだ」。これはある意味では正論なんです。
 ところが介護保険という仕組みのなかで、3880円の保険料でもいいと言ってつくった。無責任ではないんです。保険料も払うということを選び取った。鷹巣町のサービス水準をこのぐらいにして、保険料もこのぐらいにすると決めたのが、鷹巣町の介護保険福祉計画をつくる委員会です。それは公募方式で委員が決まって、手を挙げた人は百何十人だそうですけれども、全部委員にして、そこで決めたことです。参加という契機があります。保険料ですが、それは直接的にはタックス・ペイヤーみたいなものでしょう、それが選び取ったということがあります。
 それぞれの3252の市区町村で1つ1つドラマがあったと思います。わが宮城県の71の市町村でもドラマがありました。なかなか介護保険の仕組みは理解されない。かけ損だと。そんなこともありながら、職員も一生懸命になってこの制度を広げ、そしていまなんとか順調にいっています。
 このプロセス、これこそまさに分権というか、市区町村が自前で、この仕事をとにかくやるんだ。そしてこれは差がつく制度です。3252人がこの4月に突然マラソン大会で「走れッ」と言われて、いま走っている最中です。ある目から見れば、先頭集団100人と後ろの集団100人はもう見えています。このレースはもう大体わかっている。それは恐ろしいことです。なんで同じ制度の仕組みのなかでうちの介護保険はうまくいかないんだろうということは、次の選挙において首長も大変なプレッシャーになるわけで、それが政治・選挙というものにつながっていく。介護保険を礼賛しているわけではありませんけれども、こういう仕組みが分権の試金石として出てきたわけです。
 これを積み重ねることによって、決して中央に受け皿論は言わせない。つまり「分権をしたいけれども、それの受け皿となる市町村がどうも行政能力がないから、そんなに権限・財源を渡すわけにいかない。金を渡すと何をするかわからない」。そのままどこかに返してあげたいような発言です。これは絶対に失敗できないものとして受けとめています。その意味で介護保険を1つの例として、それによって自治体も変わりつつあるということを強く感じています。
○横路 まだまだお話を聞きたいところですが、時間になりましたので、最後に一言ずつ、1〜2分で民主党への注文を聞かせていただきたい。
〇浅野 1〜2分ではとてもできません(笑)。
〇横路 アハハハ。世論調査をやりますと、わが党は女性の支持率が低いんです。男性と2対1ぐらいです。鳩山さん、菅さんと、いい男がいながらどうしてこんなに支持率が低いんだろうかというのは、民主党の7不思議の1つです。お2人は大変女性の支持の強い知事でもありますので、その辺のところを含めてお話をお願いします。
○橋本 よく理由はわかりません。けれども民主党が主張されている公共事業の見直しとかあっせん利得罪というようなことは、むしろ男は興味があっても、女性の方が興味のある身近な話題なのかなということも1つのポイントではないかと思います。もっと女性に身近なことでのアピールが1つは必要ではないか。
 もう1つは、鳩山さんがおられますので申し上げると、最近少し顔が暗いんじゃないかと私は思います(笑)。さっきマスコミの取材を受けたので、もうちょっとひどい言い方をしました。「ちょっと人相が悪くなったんじゃないか」と言いました。人が悪くなったという意味ではないです。「愛」ということを口で語るのではなくて、顔で語るようにしたらいいんじゃないかな(拍手)。私自身もできませんけれども、毎日鏡を見て「きょうの自分の顔はどうかな」、そういうことを菅さん、鳩山さん、また横路さんが心がけていただければ、それだけでずいぶん変わるんじゃないかと思います。
○浅野 私は人の顔のことをとやかく言える身分ではありませんから、一切言いません(笑)。むしろ私はお願いのほうです。情報公開に興味を持っていただきたい。来年4月の情報公開法の施行は時限爆弾だと私は思っているんです。国においても大変なことなんです。よくぞやったなと。これはある意味で使わなくちゃいけない。実は宮城県の情報公開条例は1990年、いまから10年前にできているので、「一日の長」どころじゃない、10年の長があるわけです。しかし、そのなかでわれわれは情報公開条例を使われて七転八倒をさせられました。それはある意味での産みの苦しみです。しかし、これがいま宮城県がある程度自信を持ってやれるということのきっかけになっているわけです。情報公開法は根底から霞ヶ関を変えるのではないか。そんなことがありますので、期待をしています。
 また、わが宮城県で起こっていることにもぜひ興味を持っていただきたい。警察とけんかしています。まあ、けんかではなくて、理屈の上の闘争をしているんです。前代未聞で警察本部長と私との意見が合わないまま、協議が整わないままに宮城県議会に今度条例改正案を出します。なかなか難しいんですが、裁判になったときに非開示にしたということの理由をどの程度説明すればいいかというので、私は五分五分で説明をする必要があると。県警は、捜査関係の情報もあるんだから、7・3でというのか知りませんけれども、一次判断権をずいぶん配慮した形での、大体概要を説明すればそれで非開示オーケーというような条例にしてください、ということです。地方分権の観点からいうと、いまの理屈の是非の議論もありますけれども、もう1つは、県警本部長が言っているのは、国の情報公開法の条文そのままにしてほしい、なんで宮城県だけ違う条文にするんだと。「浅野は目立ちたいのか」とまではっきり言われましたけれども、そうではありません。既にできている13都県は国の条文をそのまま使っています。「46県はみんな国の条文に合わせるよ、宮城県1県だけが違う条文で、しかも非開示の範囲が狭められるというか警察の情報が出やすくなってしまうようなことになったら一体どうするんだ」と言われている。情報公開そのものの問題と、実は分権というか、そのなかで警察は全国一律の情報公開条例もそれに関しては持たなくちゃいけないのかという、その論点になっています。
 もちろん県議会からは「なんだ、話が合っていないものを出すのは不見識だ」と言われています。知事には条例提案権はあるが、条例制定権は県議会にしかないわけで、これはぜひご判断くださいと。いろいろ論議があります。私の味方をしてくださいとは申しませんが、どんなことになっているかとぜひ関心を持っていただきたい。これは非常に重要な問題であると思っておりますので、私のお願いということで終わらせていただきます。
○横路 本当にありがとうございました。これで終わりにしたいと思いますが、たた、確認しなければいけないのは、わが党はやるべきたくさんの課題を与えられたということです。補助金の問題とか、機関委任事務廃止後の自治事務と個別法の関係とか、公共事業の見直しの問題とか、きょうの話を聞いたということで終わりにしないで、これは新しくスタートするNCで私どもしっかりやっていきたいということをお2人にもお誓いをして、終わりにいたしたいと思います。(拍手)