衆院憲法調査会に参加するにあたっての談話
2000.1.28
衆議院議員 横路 孝弘

 いよいよ国会での憲法調査会がスタート致しました。5年をかけて憲法に関する様々な問題を議論するこの会に、私もメンバーとして参加することになりました。そこで今回、日本国憲法についての私の考えをお話し申し上げたいと思います。

 よく国会で憲法問題はタブーであって議論されてこなかったと言われる方がおりますが、そんなことはありません。戦後50年間、日本の国会は憲法に関する議論にある意味で終始していたと言ってもいいほど、憲法論争が非常ににぎやかに行なわれました。
 それはもちろん憲法前文や9条についての議論もありましたけれども、他にも幅広く議論が行なわれています。
 例えば憲法25条「国民の生存権」を巡っての議論も行なわれました。その時々の社会保障が、憲法が言っている国民の最低限の、つまりナショナル・ミニマムをしっかり保障したものであるのかどうかという議論が行なわれてきたのです。
 憲法についての各国の考え方はそれぞれ違いますが、日本の場合、憲法はやはり法律よりも上位法として、日本の国の基本的な骨格・根幹をしっかりと規定しているものです。同時に憲法は、制定される歴史的な背景をもちろん踏まえて、国家としての向うべき目標・理念・原則といったものを明らかにしているものでもあります。
 そして憲法がめざしている目標・理念・原則に関して、例えば国民の最低の生活というのは時代によって違いますから、その時代でどういう保障をするのが憲法の主旨に合った内容になるのかを具体的に規定するのが法律の役割なのです。
 憲法というのは、簡単に変えるべき性格のものではなく、国の大きな根幹・基本をなす原則、国の理想・目標といったものを定めているものだと私は考えております。

 いま日本が直面している様々な課題、それは経済の構造改革を含めて、大きな改革課題はたくさんあります。しかし憲法がネックになっていて、憲法が障害になっていて改革できない、という問題が本当にあるのだろうかということをよく考えてみなければならないと思います。
 憲法を変えなければできないということは本当にわずかしかありません。
 環境権は憲法のなかに規定されていません。しかし規定されていないから環境についての法律はつくれないかというと、そんなことはないのです。環境税を導入しようと思えば、それを法律で決めればできるのです。
 あるいは「男女共同社会」という言葉は憲法にはないけれども、一人ひとりの人権は民族や性別によって差別してはならないという憲法の規定(14条)があるわけですから、男女共同社会の実現をめざして様々な性による差別をなくする社会をつくろうと思えば、そのための仕組みや法律をつくることはできるのです。

 憲法を変えなければできないことはふたつあると私は思っています。
 ひとつは「大統領制ないしは首相公選制」です。これは憲法67条で、総理大臣は国会議員の中から国会で選ぶと書かれています。したがってここは憲法を変えなければ直接首相を選ぶ、あるいは大統領制を取ることはできません。しかしこれを変えようとするときにぶつかる問題がひとつあります。それは象徴天皇制をどうするかということです。ですからこの問題もそんな簡単な問題ではないと思います。
 そしてもうひとつは、「集団的自衛権の行使」という問題です。日本の憲法を巡る50年間の議論の中で、日本の安全保障と自衛隊についての原則ははっきりしてきました。「日本の憲法は、自ら国を守るという自衛権を否定したものではない。従って自衛のための必要最小限度の自衛力は、憲法9条の許すところである。」というのが確立した憲法解釈です。そのことから、「専守防衛」という考え方、つまり日本の自衛隊は日本の国土を守る組織であって、日本の自衛権は、日本の国土が直接攻撃されて初めて発動されるということになっているのです。
 これは戦前の日本が自衛権の名のもとに中国大陸を侵略したことなど、常に侵略の理由になった。従ってその反省を踏まえて、日本の国土が攻撃されてからと限定したことの意味は非常に大きいと思います。
 それから「自衛権行使の3要件」、これは@日本の国土が直接攻撃されて、A緊急やむを得ざる時に他に手段がないときに、B必要最小限度の軍事力を行使する、という3要件です。
 このことを受けてさらに「海外派兵の禁止」。自衛隊は国土防衛のためのものですから、海外に行って戦う必要がないではないかということです。それから、攻めてきたらそれを防ぐということですから、先制的に専ら攻撃をするようなミサイルなどは持たないということ。そしてさらに「非核3原則」などの原則も、基本はどこにあるのかと言えば、まさに日本の国土防衛の組織なのだというところにあるのです。
 ところが集団的自衛権の行使とはどういうことかと言えば、これらの原則を全部覆してしまうものなのです。例えば日米安保条約があります。いま日米安保条約は、日本が攻撃されたときにアメリカは支援しますよ、その代わり日本はアメリカに対して、日本の防衛とアジアの平和・安全のために基地を提供することができますよということで、およそ6200億円のお金を負担して米軍に基地を提供しています。
 集団的自衛権の行使が認められるようになるとどうなるか。それは、アメリカが自衛権を発動したときに、日本の自衛権も発動されるという枠組みになるのです。
 アメリカが自衛権を発動した実例では、中南米のある国にいるアメリカ人の安全が侵されそうになったので、米軍が救出に駆けつけるというのも自衛権発動の理由になっていますし、アメリカに麻薬を大量に輸出していたノリエガ将軍に対して、彼はアメリカの平和と安全を害する人間だから処罰するということで、自衛権を発動してパナマに軍隊を派遣して、ノリエガ将軍を捕まえて牢にぶち込むこともやっているのです。
 そういうアメリカの国益を優先する米軍の行動に、日本が付き合うことになる、一緒に行動するということになる、それが集団的自衛権の行使なのです。

 もちろん、時代が変わったのだからいろんな問題を整理して良いものをつくろうという議論は理解できます。しかし、この憲法の基本・根幹をなしているいま申し上げたような「平和主義」「基本的人権の尊重」「国民主権」など憲法の中核的価値について、これを変える議論をいま行なうべきではないと、このように思っております。

 戦後54年経ちましたが、ドイツとヨーロッパの国々、日本とアジアの国々との関係を考えてみますと、やはり大きな差があります。韓国ではようやく去年くらいから日本の歌、出版物、映画などを堂々と歌ったり見てもいいということになりました。今まで禁止されてきたのは、40年近い日本の植民地支配の下で日本語を強制され、日本の名前に替えさせられてきた、そういう韓国国民の歴史的な思いがあったからなのです。
 金大中大統領になってからその和解ができたことは非常に良いことだと思いますが、ドイツが努力して努力して築き上げてきた周辺国との友好関係のように、日本と中国や韓国などの国家間、そして民衆間で本当に和解ができて、友好関係がつくられているのかというと、どうもまだまだそうではない。それはなぜかというと、やはり日本の歴史教育が充分でないから、日本人と中国人、日本人と韓国人との間に物凄く大きな歴史についての見方の差ができてしまっているからなのです。だから「歴史観」なんていうものではなくて、「歴史的事実を事実としてしっかり認識する」ということを日本人はやっていかなければならないと思っております。
 そんな意味では、いまここで憲法を大きく変えたときに、アジア諸国がどういう眼で日本を見るのかはもうはっきりしているのではないでしょうか。

 憲法は日本国の基本法です。今やるべきこと、改革すべきことがたくさんあるときに、憲法改正を政治課題に上げることが本当に必要なのか。私は必要ではないと考えています。
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